松岡山六(柔道藝術家/才藝)我想通過柔道傳達日本人應該走的道路vol.3“只要我活著,我就必須燒死我的生命”
松山山四郎先生(49歲)在《世界柔道》上的採訪已成為熱門話題。目前,他活躍於各個領域,包括柔道,才能,廣播個性,歌手以及長野大學福利學院的客座教授。 Sanshiro先生於今年7月創作了《致世界上最不了解柔道的日本人》這本書,它的誕生是出於“盡可能多地向日本人講述柔道的奇妙之處”的渴望。 (《棒球雜誌》)。這次,即最後一集,他熱情地談論了他對出版的想法。

松山三四郎(柔道運動員、電視名人)——日本人應該走的柔道之路,第 1 卷
松山三四六(柔道家・タレント)柔道を通じて伝えたい、日本人が歩むべき道vol.2


書籍「世界の中で、いちばん柔道を知らない日本人へ」に込めた熱い想い
ーー三四六さん、あまりにも多才過ぎます。現在はコネクト株式会社に所属をし、様々な活動をされています。「世界の中で、いちばん柔道を知らない日本人へ(ベースボールマガジン社)」を出版された経緯を教えていただけますか?
松山三四六(柔道家・タレント)柔道を通じて伝えたい、日本人が歩むべき道vol.2
書籍「世界の中で、いちばん柔道を知らない日本人へ」に込めた熱い想い
松山:僕はしばらく柔道から遠ざかっていましたが、2003年に世界柔道選手権が大阪で開催され、初めてテレビで中継されることになったんですよね。それで当時の事務所の人と僕を可愛がってくれていた斉藤仁さんが売り込んでくれたので、インタビュアーをやることが決まりました。
また、自分の子供に柔道をやらせると、柔道の最高峰の戦いと底辺の少年柔道というピラミッドの頂点と底辺が同時に見てきて、多くのアイデアが出てきたんですよね。
僕はいつの間にか柔道界とメディアの間にいる存在となっていましたし、IOC現会長の山下泰裕先生と話す機会があり、次のように言いました。
「先生、このままじゃ柔道界はダメになります。テレビ局が柔道というコンテンツに莫大なお金をかけてやってくれているのに、そこにあぐらをかいて選手があくびをしているようじゃダメです。時代は違うんです、先生。このままではテレビ局が離れていきますよ。そうなれば柔道は誰も見ないスポーツとなり、柔道人口が減ってしまいます。他には暴力問題も直さないと。」
柔道を知らない一般の方々が柔道を見た時に、「何、あの世界?気持ち悪い。あんなのこれから絶対に通用しない」と思うわけです。「他からの目、風を入れないといけないんだ」とずっと言い続けてきました。
僕と同じことを吉田秀彦も言っています。彼は柔道を辞めた後、総合格闘技の世界に進みました。その時に、スポンサー・芸能界・マネージメント・イベンターなど様々な人と付き合い始めるんですね。そうすると、「柔道は、このままじゃダメだぞと」と思うようになったんですよね。
日本の柔道人口は20万人を切り、減り続けています。ブラジルは80万人、フランスが70万人と日本よりも多いですからね。サッカーの母国はイングランドだけど国技としているのはブラジルみたいな時代が、このままでは柔道にも必ず来てしまうと。
僕はそのような危機感を抱いたので、「世界の中で、いちばん柔道を知らない日本人へ」にまとめました。だからこそ、「柔道に興味がない人に読んでほしい」と強く思っています。
松山三四六から読者に伝えたいメッセージ
ーーファンと読者に伝えたいメッセージはありますか?
松山:沢山ありますが、「生きている限りは、命を燃やさなければならない。死んだように生きるのが嫌」ということですね。長いものに巻かれるくらいなら「死んだほうがまし」と思っています。「自分がそう思うのなら、それを貫け」と言いたいですね。
でも、自分が間違っていたら、しっかりと謝りましょう(笑)。 つまり、このようなことが今の僕の活動の根底にあるんですよね。だからどこへ行っても力を抜きたくないですね。今回のインタビューも100%の力でやってから終えたいです。たとえ仕事によって給料が違ったとしても、同じ力でやるのが僕のポリシーとなります。
ーー書籍では「克己心」についても触れていますね。
松山:その通り。克己心が全てですよ。外人は、試合で負けた日本人が「サンキュー」と言うことに疑問を感じています。負ければ悔しいので「ファックユー」だろうと。 これは違いますね。日本人には「自分を超えたい」という克己心があります。それゆえ、日本人は相手とではなく自分と戦い、「敵が自分である」と思います。相手が試合をしてくれたお陰で自分に勝てるかどうかを知ることができたので、負けても「ありがとう」と言うんですよね。
ーー今後の展望を教えてください。
松山:僕には、何もありません(笑)。これまで、目標としてきたことが殆ど叶っていますからね。自分には夢がありませんから。 夢を持つことは、今の自分を否定して認めていないことになります。「もっと良くなりたい」というのは前向きに見えるけど、「今の自分が嫌だ」ということが裏に隠れているんですよね。それは良くないので、「今の自分は良い。今の自分よ、ありがとう」と思うようになりました。
今回の本には、「お陰様でとても元気です。お陰様で勝つことができました。私たちは何かに認められたり、状況を尋ねられると『どうもお陰様で、元気でしたか?』と言いますよね」と書いています。 でも実際、その人にはお世話にはなっていないですよね。初めて会う人に対しても、「お陰様で」と言うじゃないですか。
これは、今の自分があるのは、この世に存在する水・空気・大自然・大地の恵みなど、それらの「お陰である」と思っているからなんですよね。「私の陰、スポットの当たらない、見えないものが自分の力になっている」という考え方なんです。このような素晴らしいことも、柔道を通じて僕は知りました。
ーー最後に、三四六さんにとって「柔道とは何」になりますか?
松山:僕みたいな若造が言うのもどうかと思いますがね(笑)。柔道以外にも、空手道、剣道、合気道の全てに「道」が付いていますよね。結局は生きる「道」となります。柔道は生きるための道標、ヒントであると。これが僕の答えとなりますね。 (了)

作者:松山三四六《致世界上最不懂柔道的日本人》
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輪廓
松山三四六 (まつやま さんしろう)
電視名人、廣播名人、歌手、柔道運動員、長野大學福祉學部客座教授
1970年7月9日出生於東京。小學一年級開始練習柔道,五年級起連續兩年獲得全國青少年柔道錦標賽冠軍。就讀明治大學中野中學期間,也曾獲得全國初中柔道錦標賽冠軍,並被認為是奧運代表隊的有力競爭者。
然而,由於反覆受傷,她在20歲時放棄了競技生涯。 1992年,她出演了一部電視節目後加入吉本興業,並於1994年離職。目前,她活躍於電視名人、廣播主持人、歌手和作家等多個領域。她的主要作品包括《大黃蜂和你手中的糖果》(文也出版社)和《葡萄酒女孩》(Poplar出版社)。
他也曾擔任長野大學社會福祉學部的客座教授,為中小學生和企業舉辦過500多場講座。當然,即使退休後,他對柔道的熱情依然不減,繼續以教練和世界柔道錦標賽記者的身份活躍在賽場上,將運動員的聲音帶入千家萬戶。
採訪合作:Connect Co., Ltd.