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徘徊的前鋒“木下幸介(Sint-Troyden VV)專訪”第二卷:德國時代受傷

木下康介は高校時代にマンチェスターシティの練習に参加することを皮切りに、ドイツ、スウェーデンとヨーロッパで揉まれてきた身長190㎝の大型ストライカーだ。昨年にスウェーデンで13得点という結果を叩き出したこともあり、シント=トロイデンVVに1月に加入し、デビュー戦では得点を記録した。これまでの人生をスパイクの話と共にベルギーの地でたっぷり聞かせてもらった。

圖標16466945 810048175800857 1247399717 n小池菊池 | 2019/05/11
Vol.1從這裡開始

ーーマンチェスターシティとフライブルクのテストを受けて、その後フライブルクに入団しましたよね。フライブルクはU19のチームに入ったんですか?   

木下:はい、半年間はそうです。プランは考えていて、半年はU19でやって、その後の1年間はセカンドチームで、その後トップチームに合流していく道が理想だと考えていました。

もちろん計画通りいくようなものではないですけど、イメージは描いていました。   

ーー結果的には半年間はU19でやって、その後にセカンドチームには何年いたんでしたっけ?   

木下:3年半いました。セカンドチームに入ってから、すぐに怪我をしてしまったんですよ。

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U19で半年やって夏にシーズンが終わり、セカンドチームへ合流して、新しいシーズンがスタートした時の話です。確かリオ五輪の日本代表の立ち上げのキャンプでスペインに呼ばれて、そこで大怪我をしてしまったんです。

足でしたが、靭帯とかではなくて、思いっきり足の第五中足骨ぐらいのところを蹴られて。一応打撲ですけど、明らかに走れなくて、びっこを引いていてました。

でも若いし、プレーしたいのもあって、少し無理してやっていたんです。でも、やはりダメでドイツへ戻りましたが、なかなか治らなくて、完治しないままやって、また痛くなるということを繰り返していたら、徐々に体のバランスが悪くなってきて、色々な部分に痛みを感じるようになっていったんです。

そしたら腰にきちゃって、きついときは首が回らなくなるくらい体がガチガチになりました。パッと手術して治るようなものではなく、少しづつ治していかなきゃいけないので、ドイツで色々な人に診てもらったんですけど、なかなかうまくいかずに日本に帰ってきたんです。

有明にドームアスリートハウスという施設があるんですけれど、僕はそこと契約させていただいていて、そこで診てもらいながら少しずつトレーニングをして、悪いサイクルを良いサイクルに切り替えながら体をほぐしていきました。良くなるまでに約2年くらいかかりました。

ーーようやくセカンドチームに合流という時に怪我してしまったんですね。仕方ないことですけど、その2年間がもったいなく感じちゃいますね。   

木下:怪我したことによって、次々と色々な怪我が出てしまう状況でした。体のバランスがおかしくなっているので、簡単に捻挫したりすることもありました。   

ーーフライブルクはどうなったんですか?   

木下:結局あまり上手くいかなかったですね。怪我のせいもあるし、自分の思っているパフォーマンスと実際のパフォーマンスが違っていたりして、フラストレーションが溜まっていました。

そうなると練習もちゃんとできなくて、練習をできないと試合にも出られなくなるので、そこは苦労しましたね。フラストレーションが溜まる一方だけど、こうすれば治るという具体的な治療法もなかったので。

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ーー結局2年くらいかけてちゃんと治ったんですか?   

木下:少しずつですけどね。本当だったらドームアスリートハウスに半年くらい通って治すのがベストだったのかもしれないですけど、契約もあったし、ドイツでのやり方もあるので、なかなかそうもいかなかったんです。

だから日本と治療についての連絡を取りつつ、ドイツで治療させてもらって、上手く組み合わせてやっていました。   

ーーフライブルクのセカンドチームに入ってからプロ契約したんですか?   

木下:はい。最初の年ですから2013年です。   

ーー横浜FCユースを卒業した翌年ですよね?   

木下:そうですね、プロ契約したのは高校卒業の時期です。卒業する前の冬に渡ったので、卒業式のときだけ帰ってきて、その後にプロ契約しました。   

ーーヨーロッパでプロサッカー選手になるという夢が叶ったじゃないですか。どんな気持ちだったか覚えていますか?   

木下:最初の契約はもちろん嬉しかったです。フライブルクとサインしたその瞬間が一番嬉しかったです。   

ーーフライブルクでプレーしてから、スウェーデンのチームに移籍しましたよね?   

木下:そうです、去年は2部だったんですけど、入団当初は1部に所属するチームでした。   

ーーなんでスウェーデンだったんですか?   

木下:今、清水エスパルスにいるヤン・ヨンソンという監督がいるじゃないですか。彼と僕の代理人が通じていて、練習に参加させてもらうことになり、そこからチームに入らないかということになりました。

ーー僕の印象からすると、スウェーデンってものすごく背の高い人ばかりいる印象なんですが。   

木下:身長は高い選手が多いですね。   

ーー木下さんは当然ながら外国人枠の選手として行くわけじゃないですか。身長の低い人が多い国に行ったら、木下さんの高身長は有利ですけど、逆に高い人の中だと自分の良さが死んじゃうみたいな苦労はなかったんですか?   

木下:僕は高さもそうですけど、スピードも武器ではあるので。そこまで気にはならなかったですね。   

ーースウェーデンで昨年は13得点していますよね。ヨーロッパのリーグでこれだけ取るのは凄いことだと思いますが、どんな要因があったんですか?   

木下:まぁ、ゴールへの意識は前からあったんですけど、やはりブンデスリーガからスウェーデンリーグに移籍して、リーグとしてのレベルは落ちている部分もあります。

上に戻るには結果を出すしかないというのは考えていて。いくらプレーが良くても、じゃあスウェーデンリーグをどこまでの人が見るのかということを考えた時に、やはりストライカーとしてゴールをあげていかないと難しいなと思って、ゴールへの意識が変わりました。

だいぶシュート練習も増やしましたし『どうやって点を取るか』ということも考えるようになり、ゴールへの意識は更に上がりましたね。

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ーーでもそうは言っても、海外の激しいマークの中で昨年の13得点ってすごいですよね。1部の時は何点くらい取ってたんですか?  

木下:1部ではほぼ取ってないですね。多分2点とかじゃないですか。

ーー1部にいた期間は?   

木下:1部に居たのは1年間です。その時もわりと苦労はしたんですよね。降格争いをしているチームで、監督が変わったりしてなかなか上手くいかない事もあって。   

ーー初めからスタメンだったんですか?  

木下:そうですね、最初はわりとスタメンで出ていたんですけど、チームも勝てなくて監督も変わっちゃったりして、それでメンバーから外れたりしながら1年目はわりと苦労しました。   

ーーチームが弱いと得点のチャンスも少ないですしね。2年目も丸1年いたんですか?   

木下:丸1年です。1年間は1部、その翌年の1年は2部でやっていました。   

ーー昨年に結果を出して今に至るわけですが、シント=トロイデンVVもその活躍を聞きつけて獲得に至ったんですかね?   

木下:そうですね。立石(敬之)さんと僕の代理人が話をして、立石さんは僕がスウェーデンにいることは知っていたようです。  

 Vol.3に続く

照片:Kikuchi Kohei