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「ランニングで広がる無限の可能性」ハリー杉山が描く挑戦の先にあるもの インタビュー Vol.1

ランナーとしてのイメージがすっかり定着しているハリー杉山。しかし、彼のスポーツ人生は意外にも野球から始まった。幼少期はカープファンとして観戦に熱中し、その後、サッカーや剣道、水泳とさまざまなスポーツに挑戦してきた。イギリス留学をきっかけに芝生の上でサッカーを本格的にプレーする中で、アンダードッグとしての厳しい戦いを経験するが、その過程で得たものとは?そして、いつしか彼はサッカーからマラソンへとシフトし、今やランニングが彼の中心となっている。その転機に迫る。※トップ画像撮影/松川李香(ヒゲ企画)

圖標Ippei Ippei | 2024/10/07

「カープと北別府さんがきっかけ」スポーツ観戦に夢中になった少年時代

―ハリー杉山さんのスポーツとの出会いはどのような感じだったんですか?

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

僕の場合、スポーツで言えば、フルマラソンとサッカーというアイデンティティが、皆さんの中では強いと思うんです。でも、僕が覚えている限りでは、一番最初に触れたスポーツは野球だったかもしれません。僕はカープのファンで、特に北別府学さんが大好きでした。母親は川口和久さんのファンで、僕も影響を受けていました。それが、僕がスポーツ観戦に興味を持ち始めたきっかけです。

―カープファンになった背景には、家族の影響が大きかったんですね。イギリスでの生活が始まってから、スポーツに対する興味はどう変わりましたか?

その後、僕もカープファンになりましたが、家族の中ではおばあちゃんがゴリゴリのジャイアンツファンでした。イギリス人の家庭なのに、日本に住んでいた時は毎晩7時から地上波で野球を観るのが日課でしたね。

93年にJリーグが始まると、また色々と変わりました。僕が小学5、6年生の頃、Jリーグがスタートして、ミサンガという文化がすごく流行りました。僕もあちこちでミサンガを買って、特に応援しているチームも分からないまま、バルセロナやフィオレンティーナなどヨーロッパのクラブのミサンガを腕に巻いて、こっそり学校に行っていましたね。

「芝生のサッカーが衝撃だった」イギリスで出会ったスポーツ環境と日本サッカーへの想い

―観戦だけでなく、自分でプレーする側としてもいろいろなスポーツに取り組んできたと思いますが、特に夢中になった競技はありますか?

自分でスポーツをやる側としては、6〜7歳くらいからサッカーを本格的に始め、剣道もやっていました。さらに、幼稚園の頃から水泳教室にも通っていたので、体を動かすこと自体は子供の頃から大好きでしたね。当時、通っていたインターナショナルスクールではサッカーをできるようなグラウンドはなく、校庭で少し蹴る程度でした。

―11歳でイギリスに渡られてからの生活は、どのようなスポーツ環境だったのでしょうか?

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

11歳でイギリスに渡りましたが、驚いたのが、芝生の上でサッカーができるということです。13歳の時に全寮制のウィンチェスター・カレッジに入学。別にスポーツの名門校ではなかったのですが、サッカーピッチは天然芝で7面もあったんです。冬はサッカー、夏はクリケット、そして間の季節にはラグビーやサッカーを混ぜた、14世紀から続くウィンチェスター・カレッジ・フットボールという謎のスポーツまであったんです。

―イギリスのスポーツ文化にも影響を受けつつ、日本のサッカーの進化にも興味を持っていたんですね?

僕がイギリスに行った頃から、日本のサッカー選手が海外に進出し始めました。2002年のワールドカップでは日本のサッカーが世界に広く知られるようになりましたが、その前から僕は中田英寿さんのウェブサイトをずっと見ていました。小野さんや俊輔さんの活躍を、当時はインターネットでギリギリ調べられるくらい。

情報は主に『フォーフォートゥー』という雑誌や、ラジオ、BBCの有名なサッカー番組『マッチ・オブ・ザ・デイ』を通じて得ていました。それらを見ながら、サッカーの世界にどっぷり浸っていましたね。

まあ、プレーヤーと言っても全然大したレベルではないんですけど、芝生でサッカーができる環境がありました。時間があれば学校で少しでもサッカーができたので、毎日ボールに触れていましたね。

「クィディッチ級の熱狂」命をかけた寮対抗サッカーの戦い

―イギリスでは、思い出に残っているサッカーの試合はありましたか?

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

ハリー・ポッターのクィディッチみたいに、寮対抗の試合があって、僕はこれに当に命をかけてました。寮のチームが11ぐらいあったと思います。外部との試合ではなく、寮同士の対抗戦ですが、そこで人生のプライドをかけて戦っていた。僕の寮はそんなに上手い選手が多くなかったので、いわばアンダードッグ。でも、強い学校の一軍だらけの寮と対戦して勝つことが夢で、勉強よりもそっちに熱中していましたね。

―その時のポジションは?

僕はセントラル・ミッドフィルダー。学校の代表チームでは右サイドバックもやっていましたが、たまにフォワードもやることがありましたね。でも、レベルが上がるにつれて自分のスキルのなさを痛感しました。16〜17歳ぐらいの時、サウサンプトンのユースチーム、アンダー15と試合をしたんですけど、0-7で敗戦。その時に、「うちの学校の2軍ではこのレベルにはもう無理なんだな」と思いました。

―0-7での敗北は、サッカーに対する考え方や姿勢に影響を与えましたか?

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

そうですね。日本に帰国するたびに、同年代の日本の草サッカーのレベルの高さに驚きました。特に、シュートの精度、フィジカル面では向こうの方が上だと思いましたが、日本の選手はパスの質やボールタッチがすごく上手で、芝生ではないグラウンドでも素晴らしい技術を持っていたり。僕も日本の中学校や高校のグラウンドをよく借りてプレーしていましたが、タッチが下手すぎてボールが全然収まりませんでした(笑)。

そんな感じでサッカーを楽しんでいましたが、今ではもう5〜6年ぐらいボールに触っていません。怪我が怖くて誘われても断っていますし、今では完全にフルマラソン野郎になっちゃってますね。


Vol.2に続く


ハリー杉山
2008年にスペースシャワーTVのMCとして芸能活動をスタート。日本語、英語、中国語、フランス語の4か国語を操る卓越した語学力を活かし、2011年よりJ-WAVEのナビゲーター、2012年よりフジテレビ「ノンストップ!」などで司会、リポーター、モデル、俳優としてマルチに活躍中。フルマラソンでサブ3を達成するほどのランニング能力や、サッカーにも精通している。