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42歳、いまだ挑戦は終わらない――川島永嗣が語る“一歩踏み出す勇気”とは

25年のキャリアを重ねても、川島永嗣は歩みを止めない。サッカー日本代表の守護神として、そのキャリアの大半をサッカーの本場、ヨーロッパで積み重ねてきた。数々の逆境を乗り越えた今、彼が語るのは「一歩踏み出す勇気」の大切さだった。『Words of Wisdom』では、これまでの軌跡と現在の想いを振り返りながら、激動の時代を生きるすべての人にエールを送った。※トップ画像出典/Pixabay(トップ画像はイメージです)

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幼少期に出会った「ゴールキーパー」という宿命

川島がサッカーを始めたのは小学2年生。近所の友人たちと遊ぶ中で、キーパーをやったときに感じたシュートを止めた時の充実感が忘れられなかったと話す。「ずっと僕はキーパーをやりたい」と宣言し、海外のサッカーやワールドカップをビデオで見ながら、「プロサッカー選手になる」と心に決めていたという。川島はそんなゴールキーパーというポジションについて「理不尽なポジション」と表現する。「難しいことに挑戦してる分、成長できるし、人としていろんなことに気づかされる」と語った。

大宮での挫折と、イタリアでの運命的な出会い

高校を卒業した2001年。川島は、当時J2だった大宮アルディージャとプロ契約を結ぶ。しかし、プロの壁は高く、開幕から試合出場はゼロ。ベンチにも入れない日々が続いた。そんななか、イタリア行きのチャンスが舞い込む。「ここで変われなかったら終わり」という覚悟を持って、言葉も通じない環境へ飛び込んだ。そこで出会ったのは、ジャンルイジ・ブッフォンを育てた名コーチ、エルメス・フルゴーニ。「受け身ではなくボールに向かっていく姿勢」を叩き込まれ、イタリアの大会でMVPを獲得。「自分がちゃんと向き合っていれば、今いる場所じゃなくても評価してもらえる」と確信を得た。この経験は、後のキャリアに大きな自信をもたらした。

海外挑戦――リスクを恐れず踏み出した決断

川崎フロンターレではレギュラーを掴み、タイトル争いに貢献したが、さらなる成長を求め海外へ。南アフリカW杯後、ベルギーのリールセSKに移籍。その後もスコットランド、フランスと渡り歩いた。

2016年、新たな移籍先として選んだのが、欧州5大リーグのひとつ、フランス・リーグアンのFCメス。トップレベルの挑戦に心躍る川島だったが、用意されていたのは第3GKという屈辱的な扱いだった。「認識されてないんだったら、認識させるしかない」と覚悟を決め、折れることなくアピールを続けた結果、8か月後にパリ・サンジェルマン戦でデビュー。「このためにフランスに来た」と振り返った川島はその後、正GKとして31試合に出場し、確かな足跡を刻んだ。日本人キーパーが5大リーグで通用することを証明して見せた川島は、「ゴールキーパーっていうポジションは、点を決められれば批判される。それがゴールキーパーの人生」と話す。「何が正しいのか、自分で自覚することが大事」と語り、「日本代表はすべてを犠牲にしてでも行く価値がある場所」とその誇りをにじませた。

ジュビロ磐田での新たな挑戦

14年ぶりに日本に戻った川島は、ジュビロ磐田へ加入。「自分自身をどう表現したいか、どこで表現したいのかっていうのを考えたときに、答えは日本だった」と語る。現在はリーダーとして、若手の内に秘めた思いを引き出すことを意識しているという。「日本と海外ではキャプテン像が違う。もっとコミュニケーションを取ることを大事にしたい」と、新たなリーダーシップを模索している。川島が大切にしてきたのは、「一歩踏み出す勇気」だ。「出ないと思ってた一歩を出したときに得られるものは、想像以上。失敗したって大したことじゃない」と力強く語る。「まだ最大の挑戦はこれから」と意気込む川島の背中は、今もなお、多くの人に勇気を与え続けている。

DAZN『WORDS OF WISDOM アスリートの金言 presented by IG証券』より

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