あの名勝負を繰り広げた元プロボクサー・坂本博之が伝えたい「一瞬」の大切さ
最近、アスリートの力を社会に役立てていこうとする動きが盛んになってきていることをご存知だろうか。様々な課題が横たわる現代社会において、アスリートの活躍の場は、競技場の中だけではなくなってきているのだ。 それを象徴するようなイベントが11月9日(土)・10日(日)の2日間に渡って行われた。スポーツ、ミュージック、アートを通して若者が献血・骨髄バンクの必要性を知り行動するきっかけを作ろうとする「SNOWBANK」と、アスリートの社会貢献活動を促進する「HEROs」がタッグを組み、「東京雪祭SNOWBANK PAY IT FORWARD×HEROs FESTA2019」が開催されたのである。今回、キングギアでは、このイベントの中でも、興味深かったセッションについて、4回にわたって連載する。第2回目は、元プロボクサー・坂本博之氏によるトークセッション、そして「ボクシング教室」の様子をお伝えする。
瀨川大輔
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2019/11/12
−−最近、ボクシング界はいい話題が多いですね。先日も井上尚弥選手がいい試合を見せましたし。
(坂本)そうですね。これまでの世界チャンピオンも、ものすごく強いんですよ、世界最高のタイトルですからね。でも、井上選手は、チャンピオンでありながら、他の団体のチャンピオンを倒しているんで、本当に強いチャンピオンですね。
−−やはり、これからますます目が離せないですか?
(坂本)引退するまで、ずっと追いかけると思います。
−−坂本さんは現役は退いていらっしゃいますが、元プロボクサーとして、どう思われますか?
(坂本)すごい選手が出てきたなと思いますね。
−−さぁ、それでは、本題に。坂本さんはどのようなきっかけでボクシングを始めたのでしょうか?
(坂本)僕は福岡県にある児童養護施設で育ったんですが、あるとき、施設の仲間がみんなでテレビを見ていたんですよね、食堂に集まって。そのテレビでボクシングを見て、やろうと決めました。小学校3年生の時ですね。
−−児童養護施設には、たくさん仲間がいますよね。テレビのチャンネルも自由にはならなかったのでは?
(坂本)当時は130名の子供たちが一緒に生活していました。テレビも男の子の時間帯、女の子の時間帯が決まっていたんですけど、ある日、女子も男子も、みんなでボクシングをみて、「行け!」「そこだ!」って騒いでいたんです。それを見かけて、何を騒いでるのかなって思って、パッとテレビを見たらボクシングだったんですよ。それを見て、強烈に「俺もこのテレビのブラウン管の中に入りたい」と思いました。煌びやかなガウンを着て、花道を通っているボクサーの姿に魅了されたんですよね。
−−児童養護施設での生活は、大変なこともたくさんあったかと思いますが、テレビの中に映っていたボクサーが、坂本さんにとって華やかな存在だったんですね。
(坂本)光をみたというかね。
−−その後、いつ頃からボクシングをやり始めたんでしょうか?
(坂本)ちゃんとボクシングジムに通い始めたのは、高校を卒業してからです。18歳の時ですね。それまでは、自分の生活を守るためにも、アルバイトをしていかないといけない状況だったんでね。
−−小学3年生の時に持った夢を、ずっと高校卒業まで持ち続けていたんですね。
(坂本)小学校3年生でボクシングというスポーツに出会ったけど、すぐにボクシングジムに行けなかったんですよ。なぜ行けなかったかと言うと、児童養護施設で生活していたんでね。僕は担任の先生に「ボクシングジムに行きたい」と言ったんですけど、ジムに行くには月謝がかかるじゃないですか。その時代は、施設が子供に何かを習わせる余裕はなかったんですよね。
−−たしかに、児童養護施設というのは、限られた予算の中で運営していますし、坂本さんの生活していた施設は130人もの仲間がいたということなので、坂本さんだけにお金を出すというわけにはいかなかったのでしょうね。
(坂本)そうですね。みんな平等だったんで。そこで、「ジムに通えないなら、通えないなりのことをしよう」と思って、朝早く起きて、園のグラウンドを走っていたんですよ。スタミナをつけないといけないと思って。自分なりに考えてね。そして、児童館に行って入門書みたいな本を借りて、ジャブの打ち方やストレートの打ち方を、勉強していましたね。
−−まずは自己流で始めたわけですね。そして高校を卒業して、ボクシングジムに入られました。入ってみてどう感じましたか?
(坂本)自負があったんですよ。小学3年生の時から、18歳になるまで、毎日走って、腕立て伏せして、ボクサー歴が長いという自負を持ってジムに入ったんだけど、初めてプロボクサーとスパーリングっていう実践練習をした時に、「うわぁ」って思いましたよね。
−−やっぱり違いますよね、当然ながら。
(坂本)皆さんもテレビでボクシングを見たことがあるかもしれません。この前の井上選手とかね。テレビでは、横から写しているから、「あ、いまカウンターを狙ってるな」とか、テレビ画面では見えるんですよね。でも、実際にリング上で相手と対峙したら、全然違ったんですね。パンパンってパンチをもらってしまう。なぜかと言ったら、モーションがないんですね。テレビでは見えるモーションが、正面で相対すると全く見えないんですよ。モーションがないパンチが飛んでくるので、「プロボクサーってすごいなぁ」って。入門したときに思ったのはそれでしたね。
−−そこからですが、挫折はなかったのでしょうか?
(坂本)たくさんありますよ。僕はプロデビューしてから19連勝したんですけど、20戦目ではじめて敗北を味わってね。プロに入って、僕は自分と約束したことがあったんですよ。自分に言い聞かせていた。「プロのリングで負けたら、また惨めな生活に戻る、絶対に負けられん」って。
−−勝ち続けなければいけないと。
(坂本)勝ち続けることによって、拍手が貰えるじゃないですか。その拍手が、ものすごく心地よかったんですよ。
−−プロの世界に入って、拍手をもらったら気持ちいいですよね。
(坂本)そう。拍手をもらって、自分を認めてもらって、「よし、ありがとう。また頑張るけん」って思って。「もっともっと拍手を浴びたい、もっともっと多くの人に見てほしい」って思ったんです。僕が育った施設の子供たちも応援してくれていましたし、子供たちに「世界のベルトを見せる」って約束をしていましたから。でも、20戦目ではじめて敗北を味わって、惨めな生活に戻るかっていったら、僕は戻らなかったんです。子供たちが「兄ちゃん、勝つまでやるって言ったやん」、「チャンピオンベルトを園に持って帰ってくるって言ったやん」って言ってくれてね。僕が子供たちに言ってきた言葉が、今度は子供達から自分に帰ってきたんです。それで「こんなところで止まっている場合じゃない」と思い直して、また走り始めて、連勝街道を突き進んでいくんですよ。
−−20戦目で負けたことは、すごく大きな意味があったのかもしれませんね。
(坂本)そうですね。負けて得るものはないんですが、後になってからわかりますよね。引退してから「あの時の負けがあるから、今の自分があるんだな」と思います。
−−一般社会でも同じことが言えますよね。仕事も勉強も、いつもうまくいくわけじゃない。でも、それをどう乗り越えるかというと、周りの方の支援に助けられて乗り越えていくんですよね。
(坂本)そうです。だから僕は施設の子供たちにも言うんです。「応援してもらうためにも、まずは自分が夢に向かって行動を起こすんだ」ってね。「君たちもそうだろ。頑張っている人を見ると応援したくなるだろ」って。身近なところでは、運動会とか、学芸会とかもそうですよね。大人も子供も、自分なりに、一生懸命に生きているんですよ。ただ、一生って考えると疲れてしまうから、「一瞬だけでいいから頑張ろう」って言うんですよ。一瞬ね。一瞬頑張ったら、また5時間後に一瞬頑張って、また明日にも瞬間を頑張る。「一瞬懸命っていう言葉だってある。その瞬間瞬間の積み重ねが、一生懸命生きたなって言えるように、坂もっちゃんもいま頑張ってるよ。だからみんなも今を一生懸命、熱く生きよう」って伝えています。
−−坂本さんは、いま、児童養護施設に向けて支援活動もなさっているようですが。
(坂本)そうですね。僕は今から19年前に、日本ボクシング史に残ると言われる畑山隆則選手との世界タイトルマッチを、横浜アリーナでやったんですけれども、この時の記者発表で、「心の青空基金」というのを設立して、全国の児童養護施設にパソコンを送ることを始めたんですよ。なぜパソコンかって言ったら、僕はボクシングというスポーツを児童養護施設のテレビの中で見たでしょ。情報化社会と言われる中で、何かパソコンを通して自分たちのやりたいことを見つけてくれればいいなと思って、パソコンをプレゼントするところから始まったんですね。その後、12年前の2007年に引退してからは、全国各地に行って、僕がボクシングを通して何を感じてきたのか、何を学んできたのかを話したりしながら、コミュニケーションを取れないかと考えたのが、ボクシングセッションなんですよ。
いま、全国の児童養護施設に入って生活する理由、皆さんもテレビ新聞などでご存知かと思うんですけど、児童虐待、すごく嫌な言葉ですよね。児童養護施設で生活している子供の約6割が、虐待を経験しているんです。そのような負を抱えている子供たちに対して、自分が子供たちに言葉を投げかけるんです。「小学生も中学生も高校生も、年齢は関係ない。君たちのこれまで生きてきた人生の中で一番嬉しかったことを考えてごらん。なんでもいい。ハッピーなことを考えてごらん。次に、一番悲しかったことを考えてごらん。そして何より怒ったことを考えてごらん。それらを言葉に出して説明する必要はない。僕の持っているミットに思い切り打ってごらん」と。そう言うと、楽しかったことを考えながら打ってくる子は、満面の笑みで打ってくる。また、眉間にシワを寄せて、怒りを持って打ってくる子もいる。悲しいことを思い、涙をうっすら浮かべながら打ってくる子もいる。そういう子供たちに対して、「たしかに君たちのことを傷つけたのは、大人、人かもしれない。だけど傷ついた気持ちを受け止めてあげるのも、大人、人なんだよ」っていうことを僕はこの活動の中で伝えるんです。ボクシングセッションが終わると、子供たちが「坂もっちゃん、また来てね」「すごくスッキリした」って言うんですよ。そこで「なんでスッキリしたかわかるか。俺はお前の気持ちを受け止めたよ。受け止められる大人もいるから。君たちのことをわかる大人もいるから」って伝えてあげる。そうやって安心を与えてあげることによって、子供たちは徐々に、自分の笑顔を取り戻すようになるんです。
−−元プロボクサーとしてやれることは本当にたくさんあるんですね。ボクサーしかミット打ちはやらないのかなと思っていましたが、小さなお子さんでもミットに目掛けて、何か感情をぶつけることはできるんですよね。
(坂本)HEROsのアンバサダーをやっている村田諒太選手だって、児童養護施設を訪問して子供たちをサポートしています。アスリートが自分が目指した道を、経験談としてお話しするだけでも子供たちの胸に刺さりますから。
−−坂本さんがおっしゃっていることが、たくさんの方に伝えられたらいいですね。会場にいらっしゃっている方に、最後にメッセージをお願いしたいんですが。
(坂本)子供も大人も、いろんな出来事があると思います。でも一瞬を頑張りましょう。一瞬を熱く生きましょう。一瞬一瞬の積み重ねが、一生懸命に生きたって言えるように、今を生きましょう。「明日からやります」「来週からやります」。できんって。やるんだったら今。この瞬間から、自分の夢に向かって行動を起こして、ともに頑張っていきましょう。
トークセッションの後に行われたボクシングのミット打ちでは、坂本博之氏のジムの教え子である苗村修悟選手のサポートの元で行われた。大人も子供も、生き生きとした表情で、それぞれの感情をミット目がけて打ち込んでいる様子が印象的だった。
採訪/文字/照片:Yasuyuki Segawa
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(坂本)すごい選手が出てきたなと思いますね。
−−さぁ、それでは、本題に。坂本さんはどのようなきっかけでボクシングを始めたのでしょうか?
(坂本)僕は福岡県にある児童養護施設で育ったんですが、あるとき、施設の仲間がみんなでテレビを見ていたんですよね、食堂に集まって。そのテレビでボクシングを見て、やろうと決めました。小学校3年生の時ですね。
−−児童養護施設には、たくさん仲間がいますよね。テレビのチャンネルも自由にはならなかったのでは?
(坂本)当時は130名の子供たちが一緒に生活していました。テレビも男の子の時間帯、女の子の時間帯が決まっていたんですけど、ある日、女子も男子も、みんなでボクシングをみて、「行け!」「そこだ!」って騒いでいたんです。それを見かけて、何を騒いでるのかなって思って、パッとテレビを見たらボクシングだったんですよ。それを見て、強烈に「俺もこのテレビのブラウン管の中に入りたい」と思いました。煌びやかなガウンを着て、花道を通っているボクサーの姿に魅了されたんですよね。
−−児童養護施設での生活は、大変なこともたくさんあったかと思いますが、テレビの中に映っていたボクサーが、坂本さんにとって華やかな存在だったんですね。
(坂本)光をみたというかね。
−−その後、いつ頃からボクシングをやり始めたんでしょうか?
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−−小学3年生の時に持った夢を、ずっと高校卒業まで持ち続けていたんですね。
(坂本)小学校3年生でボクシングというスポーツに出会ったけど、すぐにボクシングジムに行けなかったんですよ。なぜ行けなかったかと言うと、児童養護施設で生活していたんでね。僕は担任の先生に「ボクシングジムに行きたい」と言ったんですけど、ジムに行くには月謝がかかるじゃないですか。その時代は、施設が子供に何かを習わせる余裕はなかったんですよね。
−−たしかに、児童養護施設というのは、限られた予算の中で運営していますし、坂本さんの生活していた施設は130人もの仲間がいたということなので、坂本さんだけにお金を出すというわけにはいかなかったのでしょうね。
(坂本)そうですね。みんな平等だったんで。そこで、「ジムに通えないなら、通えないなりのことをしよう」と思って、朝早く起きて、園のグラウンドを走っていたんですよ。スタミナをつけないといけないと思って。自分なりに考えてね。そして、児童館に行って入門書みたいな本を借りて、ジャブの打ち方やストレートの打ち方を、勉強していましたね。
−−まずは自己流で始めたわけですね。そして高校を卒業して、ボクシングジムに入られました。入ってみてどう感じましたか?
(坂本)自負があったんですよ。小学3年生の時から、18歳になるまで、毎日走って、腕立て伏せして、ボクサー歴が長いという自負を持ってジムに入ったんだけど、初めてプロボクサーとスパーリングっていう実践練習をした時に、「うわぁ」って思いましたよね。
−−やっぱり違いますよね、当然ながら。
(坂本)皆さんもテレビでボクシングを見たことがあるかもしれません。この前の井上選手とかね。テレビでは、横から写しているから、「あ、いまカウンターを狙ってるな」とか、テレビ画面では見えるんですよね。でも、実際にリング上で相手と対峙したら、全然違ったんですね。パンパンってパンチをもらってしまう。なぜかと言ったら、モーションがないんですね。テレビでは見えるモーションが、正面で相対すると全く見えないんですよ。モーションがないパンチが飛んでくるので、「プロボクサーってすごいなぁ」って。入門したときに思ったのはそれでしたね。
−−そこからですが、挫折はなかったのでしょうか?
(坂本)たくさんありますよ。僕はプロデビューしてから19連勝したんですけど、20戦目ではじめて敗北を味わってね。プロに入って、僕は自分と約束したことがあったんですよ。自分に言い聞かせていた。「プロのリングで負けたら、また惨めな生活に戻る、絶対に負けられん」って。
−−勝ち続けなければいけないと。
(坂本)勝ち続けることによって、拍手が貰えるじゃないですか。その拍手が、ものすごく心地よかったんですよ。
−−プロの世界に入って、拍手をもらったら気持ちいいですよね。
(坂本)そう。拍手をもらって、自分を認めてもらって、「よし、ありがとう。また頑張るけん」って思って。「もっともっと拍手を浴びたい、もっともっと多くの人に見てほしい」って思ったんです。僕が育った施設の子供たちも応援してくれていましたし、子供たちに「世界のベルトを見せる」って約束をしていましたから。でも、20戦目ではじめて敗北を味わって、惨めな生活に戻るかっていったら、僕は戻らなかったんです。子供たちが「兄ちゃん、勝つまでやるって言ったやん」、「チャンピオンベルトを園に持って帰ってくるって言ったやん」って言ってくれてね。僕が子供たちに言ってきた言葉が、今度は子供達から自分に帰ってきたんです。それで「こんなところで止まっている場合じゃない」と思い直して、また走り始めて、連勝街道を突き進んでいくんですよ。
−−20戦目で負けたことは、すごく大きな意味があったのかもしれませんね。
(坂本)そうですね。負けて得るものはないんですが、後になってからわかりますよね。引退してから「あの時の負けがあるから、今の自分があるんだな」と思います。
−−一般社会でも同じことが言えますよね。仕事も勉強も、いつもうまくいくわけじゃない。でも、それをどう乗り越えるかというと、周りの方の支援に助けられて乗り越えていくんですよね。
(坂本)そうです。だから僕は施設の子供たちにも言うんです。「応援してもらうためにも、まずは自分が夢に向かって行動を起こすんだ」ってね。「君たちもそうだろ。頑張っている人を見ると応援したくなるだろ」って。身近なところでは、運動会とか、学芸会とかもそうですよね。大人も子供も、自分なりに、一生懸命に生きているんですよ。ただ、一生って考えると疲れてしまうから、「一瞬だけでいいから頑張ろう」って言うんですよ。一瞬ね。一瞬頑張ったら、また5時間後に一瞬頑張って、また明日にも瞬間を頑張る。「一瞬懸命っていう言葉だってある。その瞬間瞬間の積み重ねが、一生懸命生きたなって言えるように、坂もっちゃんもいま頑張ってるよ。だからみんなも今を一生懸命、熱く生きよう」って伝えています。
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いま、全国の児童養護施設に入って生活する理由、皆さんもテレビ新聞などでご存知かと思うんですけど、児童虐待、すごく嫌な言葉ですよね。児童養護施設で生活している子供の約6割が、虐待を経験しているんです。そのような負を抱えている子供たちに対して、自分が子供たちに言葉を投げかけるんです。「小学生も中学生も高校生も、年齢は関係ない。君たちのこれまで生きてきた人生の中で一番嬉しかったことを考えてごらん。なんでもいい。ハッピーなことを考えてごらん。次に、一番悲しかったことを考えてごらん。そして何より怒ったことを考えてごらん。それらを言葉に出して説明する必要はない。僕の持っているミットに思い切り打ってごらん」と。そう言うと、楽しかったことを考えながら打ってくる子は、満面の笑みで打ってくる。また、眉間にシワを寄せて、怒りを持って打ってくる子もいる。悲しいことを思い、涙をうっすら浮かべながら打ってくる子もいる。そういう子供たちに対して、「たしかに君たちのことを傷つけたのは、大人、人かもしれない。だけど傷ついた気持ちを受け止めてあげるのも、大人、人なんだよ」っていうことを僕はこの活動の中で伝えるんです。ボクシングセッションが終わると、子供たちが「坂もっちゃん、また来てね」「すごくスッキリした」って言うんですよ。そこで「なんでスッキリしたかわかるか。俺はお前の気持ちを受け止めたよ。受け止められる大人もいるから。君たちのことをわかる大人もいるから」って伝えてあげる。そうやって安心を与えてあげることによって、子供たちは徐々に、自分の笑顔を取り戻すようになるんです。
−−元プロボクサーとしてやれることは本当にたくさんあるんですね。ボクサーしかミット打ちはやらないのかなと思っていましたが、小さなお子さんでもミットに目掛けて、何か感情をぶつけることはできるんですよね。
(坂本)HEROsのアンバサダーをやっている村田諒太選手だって、児童養護施設を訪問して子供たちをサポートしています。アスリートが自分が目指した道を、経験談としてお話しするだけでも子供たちの胸に刺さりますから。
−−坂本さんがおっしゃっていることが、たくさんの方に伝えられたらいいですね。会場にいらっしゃっている方に、最後にメッセージをお願いしたいんですが。
(坂本)子供も大人も、いろんな出来事があると思います。でも一瞬を頑張りましょう。一瞬を熱く生きましょう。一瞬一瞬の積み重ねが、一生懸命に生きたって言えるように、今を生きましょう。「明日からやります」「来週からやります」。できんって。やるんだったら今。この瞬間から、自分の夢に向かって行動を起こして、ともに頑張っていきましょう。
トークセッションの後に行われたボクシングのミット打ちでは、坂本博之氏のジムの教え子である苗村修悟選手のサポートの元で行われた。大人も子供も、生き生きとした表情で、それぞれの感情をミット目がけて打ち込んでいる様子が印象的だった。
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