片岡洋介の現在地「後編:大宮アルディージャに恩返しがしたい」
大宮アルディージャ、京都サンガ、ガイナーレ鳥取でプレーしてきた片岡洋介さん。カップ戦含めJリーグで通算300試合以上出場したレジェンドだ。後編では引退後のキャリアや現在の仕事について詳しく聞かせて頂いた。
小池菊池
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2021/01/21
單擊此處為第一部分
――キャリアの部分を聞かせてください。引退前からセカンドキャリアのイメージはありましたか?
片岡:最後は2年やってやめると決めていたので、引退後は社会に出て働くしかないと思っていました。サッカー界にもちろん行きたくて、コーチになることをまず考えました。
ただ、トップのコーチや監督を目指している人が周りには沢山いて、目指すからには自分もそれくらいサッカーが好きで、詳しくないといけないのではと考えました。それにJ1の監督になって指揮するというイメージがわかなかったんです。
――なぜイメージがわかなかったんですか?
片岡:40歳を過ぎてS級ライセンスを取って、50歳で監督になって、そこでまた2~3チームを転々としたり、50歳を過ぎてクビになるのはキツイなと思ったからです。
アルディージャを33か34歳で必要とされなくなった時にクビの痛みを知ってしまったので、あの想いを2度としたくないという気持ちがあったんです。
監督が無理ならまだサッカー界に行くべきではないと思ったので、外の世界のことを何もわからなかったので「いったん外に出てみよう!職種は関係なく何でも良いからやってみよう!」と思い動きました。
――どんな方向に進んだのですか?
片岡:不動産会社に入りました。そこがどうとかではなくて、当時の状態でしたらどの会社に入ってもうまくいかないなと今になっては思うんです。
満員電車に乗って、朝から晩まで働いて給料が30万ちょっと位だとしましょう。アルディージャでベンチに座っている方がお金だけでいうと稼げるわけですよ。
働き始めた頃は、朝から晩まで自分は何をやっているんだろうと思っていましたし、今まで応援されていたのに全く応援されなくなりました。
そんな時にJリーグを見たんです。知り合いがみんな出ていてキラキラしていました。 俺は去年まであのピッチで戦っていて、凄く幸せな時間を過ごしていたのに、今は情けないなとまた思ってしまって、Jリーグや、やべっちFCを見れなくなってしまったんです。
――サッカーを見れなくなってしまったとは気持ち的にかなり追い詰められていたんですね。
片岡:「このままじゃいけないな!」とくすぶっている感情はあったんです。不動産も1年続かずに辞めてしまって、何をしようかなと宙ぶらりんのままいた際に、入江(慎也)さんの会社へ入れて頂きました。
すると少しづつサッカーに対しての壁は無くなっていきました。そんなタイミングでその会社が難しくなってしまい、自分を見つめ直す良い時間だと思い、半年くらいぶらぶらしながら色々考えていました。
その半年間で気付けたのは、やはりサッカーが好きだという事でした。後輩や友達の選手もいつかは自分のように引退してしまうので、せっかくならプレーしている姿を見に行きたいなと思ってスタジアムに足を運びました。
サッカーを受け入れるまでに2年強かかりました。今はサッカーが現役の時よりも好きかもしれないです。サッカーに対する想いが変わってきたんです。
――引退して社会に出た当初が1番大変でしたよね?
片岡:今考えると、サッカー選手を辞めて社会に出る時に覚悟は出来ないと思いますが、気持ちの整理をもう少しした方が良かったなと思います。
30年間サッカーしかしていなかったので、いきなり一般社会に出ても難しかったです。例えば、名刺を持ったことがないですしね。名刺を持てて嬉しかったですが、交換の仕方もわかりませんでしたし、変なエピソードは沢山ありますよ(笑)
――その後はどうされたんですか?
片岡:入江さんの会社を6月か7月に辞めて、11月にまる29という焼き肉屋に入りました。
アルディージャの時の先輩でもある波戸(康広)さんが、まる29のオーナーを紹介してくれて、話を聞きに行ったんです。凄くいいご縁だなと思い、入れて頂き今でちょうど1年経ちました。
――実際に働いてみていかがですか?
片岡:不動産会社も入江さんの会社でもそうですが、初めての経験ばかりで楽しいことも新鮮なこともたくさんあるんですよ。
焼き肉屋でいうと、毎日誰かが来て話せるので、そこが凄く楽しいところで、今までの仕事に比べて自分がサッカー選手ということを認めてくれる人が凄く多いです。
サッカーをやってて良かった、無駄じゃなかったなという想いが芽生えたのが、この職場です。飲食業ってメチャクチャ楽しいなというのが率直な感想です。
――網を洗ったり地道な作業もあると思いますが大変さは?
片岡:準備も時間をかけてしないといけませんし、帰りも遅いですし、休んだ分だけ利益が少なくなってしまう仕事なので、大変な部分はあります。
もっと将来大きくなりたい、自分で何かやりたいという想いがあるので、これも一つの貴重な経験だと思っていれば頑張れるんです! 地道な作業はサッカーで例えると走りと一緒です。
走るのはキツイし、やりたくねえよと思いますが、結局試合中に走れなくなったら嫌ですし、もっともっと将来でかくなる為には必要な作業だと思って、ぶうぶう言いながらみんなちゃんと走るのでそれと一緒の感覚です。
――店員をやってみてわかったことは?
片岡:自身の両手がふさがっているときには声を掛けなかったり、忙しい時に遠くから「ビール2つ!」と言ってくれたりと、気を遣ってくださるお客様を見て、自分はお客さんの立場の時に横柄な態度をとっていた事もあるなと反省しました。日々、学びがあります。
――忙しい毎日の中で、定期的にジムに通っている理由は?
片岡:引退してから1年で8~9Kgくらい太ってしまったんですよ。その時にスーツを着たらパツパツで、頭の中では現役の頃の身体のイメージでしたが、鏡で見たらなんかダサかったんですよ。
まずはダイエットから始めて少し痩せてきたら、筋トレも始めました。筋トレは数字ですぐに変化がわかるんです。70Kgしか上がらなかった重りが1ヶ月後には75Kg上がったり、見た目も変わってきますので、どんどんはまっていきました。
人やお金は裏切りますが、筋トレはやったぶんだけ必ず返ってきますので。 「引退しても体系を維持してたり、目標を高く持っている方が絶対にカッコいいから」と先輩に言われた言葉にも感化されました。
今はサッカー上手いですねという言葉よりも「腕が太いですよね、胸筋凄いですね!」と言われるのが圧倒的に嬉しいんです。
――最後に今後の目標を教えてください。
片岡:自分で何かしたいという目標があります。今はまる29で経営など色んなことを学んで、色々な方と出会って刺激を受けています。ここで経験したことを活かして、飲食か他の事業など自分で仕事を作っていきたいです。
最終的には、やはり少額でも良いのでアルディージャのスポンサーになりたい、サッカー界に何か恩返ししたいと考えています。もしくはアルディージャにコーチや経営として携わらせて頂くなど、1番お世話になって想いが強いクラブに何か貢献したいという目標があります。
(了)
片岡さんが働いている「まる29」のホームページはこちら。 大阪タレ焼肉 まる29 (athreebo.jp)
インタビュー&写真:菊池康平
――キャリアの部分を聞かせてください。引退前からセカンドキャリアのイメージはありましたか?
片岡:最後は2年やってやめると決めていたので、引退後は社会に出て働くしかないと思っていました。サッカー界にもちろん行きたくて、コーチになることをまず考えました。
ただ、トップのコーチや監督を目指している人が周りには沢山いて、目指すからには自分もそれくらいサッカーが好きで、詳しくないといけないのではと考えました。それにJ1の監督になって指揮するというイメージがわかなかったんです。
――なぜイメージがわかなかったんですか?
片岡:40歳を過ぎてS級ライセンスを取って、50歳で監督になって、そこでまた2~3チームを転々としたり、50歳を過ぎてクビになるのはキツイなと思ったからです。
アルディージャを33か34歳で必要とされなくなった時にクビの痛みを知ってしまったので、あの想いを2度としたくないという気持ちがあったんです。
監督が無理ならまだサッカー界に行くべきではないと思ったので、外の世界のことを何もわからなかったので「いったん外に出てみよう!職種は関係なく何でも良いからやってみよう!」と思い動きました。
――どんな方向に進んだのですか?
片岡:不動産会社に入りました。そこがどうとかではなくて、当時の状態でしたらどの会社に入ってもうまくいかないなと今になっては思うんです。
満員電車に乗って、朝から晩まで働いて給料が30万ちょっと位だとしましょう。アルディージャでベンチに座っている方がお金だけでいうと稼げるわけですよ。
働き始めた頃は、朝から晩まで自分は何をやっているんだろうと思っていましたし、今まで応援されていたのに全く応援されなくなりました。
そんな時にJリーグを見たんです。知り合いがみんな出ていてキラキラしていました。 俺は去年まであのピッチで戦っていて、凄く幸せな時間を過ごしていたのに、今は情けないなとまた思ってしまって、Jリーグや、やべっちFCを見れなくなってしまったんです。
――サッカーを見れなくなってしまったとは気持ち的にかなり追い詰められていたんですね。
片岡:「このままじゃいけないな!」とくすぶっている感情はあったんです。不動産も1年続かずに辞めてしまって、何をしようかなと宙ぶらりんのままいた際に、入江(慎也)さんの会社へ入れて頂きました。
すると少しづつサッカーに対しての壁は無くなっていきました。そんなタイミングでその会社が難しくなってしまい、自分を見つめ直す良い時間だと思い、半年くらいぶらぶらしながら色々考えていました。
その半年間で気付けたのは、やはりサッカーが好きだという事でした。後輩や友達の選手もいつかは自分のように引退してしまうので、せっかくならプレーしている姿を見に行きたいなと思ってスタジアムに足を運びました。
サッカーを受け入れるまでに2年強かかりました。今はサッカーが現役の時よりも好きかもしれないです。サッカーに対する想いが変わってきたんです。
――引退して社会に出た当初が1番大変でしたよね?
片岡:今考えると、サッカー選手を辞めて社会に出る時に覚悟は出来ないと思いますが、気持ちの整理をもう少しした方が良かったなと思います。
30年間サッカーしかしていなかったので、いきなり一般社会に出ても難しかったです。例えば、名刺を持ったことがないですしね。名刺を持てて嬉しかったですが、交換の仕方もわかりませんでしたし、変なエピソードは沢山ありますよ(笑)
――その後はどうされたんですか?
片岡:入江さんの会社を6月か7月に辞めて、11月にまる29という焼き肉屋に入りました。
アルディージャの時の先輩でもある波戸(康広)さんが、まる29のオーナーを紹介してくれて、話を聞きに行ったんです。凄くいいご縁だなと思い、入れて頂き今でちょうど1年経ちました。
――実際に働いてみていかがですか?
片岡:不動産会社も入江さんの会社でもそうですが、初めての経験ばかりで楽しいことも新鮮なこともたくさんあるんですよ。
焼き肉屋でいうと、毎日誰かが来て話せるので、そこが凄く楽しいところで、今までの仕事に比べて自分がサッカー選手ということを認めてくれる人が凄く多いです。
サッカーをやってて良かった、無駄じゃなかったなという想いが芽生えたのが、この職場です。飲食業ってメチャクチャ楽しいなというのが率直な感想です。
――網を洗ったり地道な作業もあると思いますが大変さは?
片岡:準備も時間をかけてしないといけませんし、帰りも遅いですし、休んだ分だけ利益が少なくなってしまう仕事なので、大変な部分はあります。
もっと将来大きくなりたい、自分で何かやりたいという想いがあるので、これも一つの貴重な経験だと思っていれば頑張れるんです! 地道な作業はサッカーで例えると走りと一緒です。
走るのはキツイし、やりたくねえよと思いますが、結局試合中に走れなくなったら嫌ですし、もっともっと将来でかくなる為には必要な作業だと思って、ぶうぶう言いながらみんなちゃんと走るのでそれと一緒の感覚です。
――店員をやってみてわかったことは?
片岡:自身の両手がふさがっているときには声を掛けなかったり、忙しい時に遠くから「ビール2つ!」と言ってくれたりと、気を遣ってくださるお客様を見て、自分はお客さんの立場の時に横柄な態度をとっていた事もあるなと反省しました。日々、学びがあります。
――忙しい毎日の中で、定期的にジムに通っている理由は?
片岡:引退してから1年で8~9Kgくらい太ってしまったんですよ。その時にスーツを着たらパツパツで、頭の中では現役の頃の身体のイメージでしたが、鏡で見たらなんかダサかったんですよ。
まずはダイエットから始めて少し痩せてきたら、筋トレも始めました。筋トレは数字ですぐに変化がわかるんです。70Kgしか上がらなかった重りが1ヶ月後には75Kg上がったり、見た目も変わってきますので、どんどんはまっていきました。
人やお金は裏切りますが、筋トレはやったぶんだけ必ず返ってきますので。 「引退しても体系を維持してたり、目標を高く持っている方が絶対にカッコいいから」と先輩に言われた言葉にも感化されました。
今はサッカー上手いですねという言葉よりも「腕が太いですよね、胸筋凄いですね!」と言われるのが圧倒的に嬉しいんです。
――最後に今後の目標を教えてください。
片岡:自分で何かしたいという目標があります。今はまる29で経営など色んなことを学んで、色々な方と出会って刺激を受けています。ここで経験したことを活かして、飲食か他の事業など自分で仕事を作っていきたいです。
最終的には、やはり少額でも良いのでアルディージャのスポンサーになりたい、サッカー界に何か恩返ししたいと考えています。もしくはアルディージャにコーチや経営として携わらせて頂くなど、1番お世話になって想いが強いクラブに何か貢献したいという目標があります。
(了)
片岡さんが働いている「まる29」のホームページはこちら。 大阪タレ焼肉 まる29 (athreebo.jp)
インタビュー&写真:菊池康平