「未来が見えない」闘将・リーチマイケルが本気でラグビー引退を考えた"最大の挫折"から完全復活までの道のり
2008年にラグビー日本代表として初キャップを獲得。以降、十数年にわたり代表チームを索引し続けているリーチマイケル。2015年に行われたワールドカップではキャプテンを務め、2019年日本開催のワールドカップでは初のベスト8。2023年には所属チームがリーグワンを制覇と、輝かしい成績を残し続けている。しかし、配信サービス「Lemino」のドキュメンタリー番組『Number TV』にて、リーチ選手の口から語られたのは、大きな壁にぶつかり「引退を考えた」というほど深く思い悩んだ日々であった。※トップ画像出典/Getty Images
留学後、初めて味わった挫折
リーチ選手は1988年10月7日ニュージーランドのクライストチャーチで生まれ、幼い頃からラグビーを始める。15歳で札幌山の手高校に留学。初めての登校日にホームステイ先で撮った写真を見て、リーチ選手は「細くて弱そう」と笑いながら話した。
当時のラグビー部監督黒田弘則さんも、本当に3年間ラグビーができるのかと心配になるほど体が細かったと、リーチ選手の第一印象を振り返る。そんな中、全国大会で対戦した強豪校の選手から「留学生なのに全然大したことない」と、心ない言葉を投げかけられる。これが初めての挫折だった。
努力を積み重ねることでつかんだ日本代表初キャップ
「このままでは日本でやっていけない。失敗した留学生だと思われたくなかった」と、リーチ選手はすぐに気持ちを切り替え、誰よりもトレーニングにはげんだ。入学当初(高校1年)78kgだった体重は、高校3年になったときには100kgを超えるまでになっていた。
卒業後は東海大学へ進学。2008年の大学2年生時に初めて日本代表に選ばれ、アメリカ戦に出場して初キャップを得た。大学卒業後は名門東芝ブレイブルーパスへ入団、2011年に母国ニュージーランドで開催されたワールドカップでは全試合に出場し、予選プール第2戦ではニュージーランド代表“オールブラックス”と対戦するも完敗。「なにもできないのが悔しかった。もっといい結果を出せたはず」と語った。
出典/Getty Images
日本を強くしたいという想いが生んだ、歓喜のワールドカップ
2013年、リーチ選手は日本への帰化を申請する。「日本に恩返しがしたい。そしていつかオールブラックスを倒す」という強い想いを抱いての大きな決断だった。翌年、初めての代表主将に任命され、2015年に日本中を歓喜の渦に巻き込んだワールドカップイングランド大会を迎える。
「2011年から2015年の4年間が人生で1番きつかったですね。日本ラグビーにとっても大きく変わった4年間だったと思います」と、その言葉が示すとおり、この大会で日本代表チームは優勝候補の南アフリカを破る大金星をあげる。攻め続けることを選んだリーチ選手の決断により、最後のワンプレーで大逆転を起こし、今世紀最大の番狂わせと報じられた。
出典/Getty Images
2019年には、引き続き主将として自国開催ワールドカップ日本大会に出場。このとき、リーチ選手は29歳。ラグビー選手として年齢的にも最高のタイミングで迎えた大会では、世界2位のアイルランドを破り決勝トーナメントに進出し、日本ラグビー界初のベスト8進出を果たした。
怪我に苦しみ本気で引退を考えたラグビー人生最大の挫折
そんな代表チーム躍進の裏側で、リーチ選手は大きな問題を抱えていた。股関節の怪我でコンディションが回復せず、アイルランド戦ではリザーブ出場となる。
実は満身創痍の状態で、普通に歩くことも厳しく、スポーツ選手としてやっていくのは難しい状況だったという。「体もボロボロでした。手術をしないと将来歩けなくなると言われて、両股関節を手術しました」
画像提供/ NTTドコモ Sports Graphic Number
手術後に復帰はしたものの、イメージするパフォーマンスが発揮できるレベルまでには戻らなかった。代表には返り咲いたが、自らのプレーに自信が持てず主将を辞退する。その後も思いどおりのプレーができない状態が続き、本気で引退を考えるようになったという。
そんな中、2021年のヨーロッパ遠征直前にジェイミー・ジョセフHCから、ロック(4番)でプレーできないかと打診を受ける。リーチ選手を象徴し、守り続けてきた背番号“6番”を変えるという現実は、選手としての引退を決断させるものでもあったという。
引退を踏みとどまった幼馴染の言葉
引退への覚悟を決めたリーチ選手は、幼馴染のイーリ・ ニコラスさんに「体が思うように動かない、もうこれで終わりだ」と伝える。しかしイーリさんから「まだ出来る。ネガティブなことを言うと体もどんどん悪くなっていく。とにかく自分にポジティブな声をかけ続けること」と言い返され、意識して考え方を変えることにした。「1日1個でもいいプレーができたら喜ぶべき、とにかくポジティブに考える。その思考が形になっていくと思います」
その後、リーチ選手は過酷なリハビリを乗り越えて怪我を克服。自身4度目の出場となる2023年のワールドカップフランス大会にて、自分の居場所である日本代表の“6番”を再び勝ち取ったのだ。アルゼンチンに惜敗し、決勝トーナメントへの出場は叶わなかったが「いい試合ができた」とリーチ選手は振り返った。
画像提供/ NTTドコモ Sports Graphic Number
挫折という辛い経験がこれからの人生の財産になる
2023年には、所属チームで2度目の主将に就任。チーム内での練習量はトップ3に入り、主将としての自信も取り戻した。さらに翌年の5月、リーチ選手率いる東芝ブレイブルーパスは、念願のリーグワン初制覇を果たす。その数カ月後、久々の代表戦に主将としてのリーチ選手の姿があった。
「自分の経験をチームに伝えたい」と話すリーチ選手は35歳になった現在、いままでで1番コンディションが良く、ラグビーが最高に楽しいと言う。リーチ選手は様々な挫折から這い上がり、完全復活を遂げた。そして、日本ラグビー界の未来へ向けて、さらなる1歩を踏み出そうとしている。
出典/Getty Images
リーチ選手にとっての挫折とは「自分のキャラクターを試す時期だったと思います。あきらめるのは簡単。ゼロからすくい上げてトップのところまで持っていく経験をできたことは今後の人生の財産になると思います」と語る。
そして、挫折に苦しむ全ての人へ「自分にかける言葉を大事にした方がいい。自分に対してネガティブな言葉をかけないことが1番のアドバイス」と伝えてくれた。
Number Roomに置かれた空のフレームに入れたい写真はと聞かれて「オールブラックスに勝つ写真を入れたい。」と答えたリーチ選手。いつかオールブラックスを倒すと誓ったあの日の決意が、いまもリーチ選手の原動力なのだ。
『Number TV』 挫折地点~あのとき前を向いた理由~
タイトル:#4 リーチマイケル
配信日:2024年9月12日(木)0:00~ 全24回配信(月2回配信予定)
內容:トップアスリートの「挫折」と「復活」をテーマにしたドキュメンタリー番組。過去の写真が飾られた特別な空間(Number Room)で、アスリート本人がこれまでの人生を振り返り、挫折の瞬間や前を向けた理由について語る。
※記事内の情報は配信時点の情報です