【選手ヒストリー】身体能力と努力の結晶!挑戦し続けた10年間ー江越大賀(北海道日本ハムファイターズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手
江越大賀は長崎県立海星高校、 駒沢大学を経て2014年のドラフト3位で阪神タイガースに入団した。ずば抜けた身体能力を活かした俊足と強肩に加えて、ツボにハマった時の長打力を併せ持ち、主に代走や守備でチームに貢献した。※イラスト/これ松えむ
空手で養った身体能力を活かしてプロの世界へ
長崎県南島原市で生まれた江越大賀は、南島原市立慈恩寺小学校の2年時にソフトボールを始め、空手で培った高い身体能力の片鱗を見せる。南島原市立西有家中学校に入学後は軟式野球部に入部し、本格的に野球に打ち込むと、その後は長崎県の強豪校の海星高校へと進学した。入学時は投手だったが、2年生の夏に外野手に転向。持ち前の長打力で存在感を示すも、高校時代に甲子園出場を果たすことはできなかった。
駒沢大学に進学した江越は1年の春からリーグ戦出場を果たすと、持ち前の身体能力や長打力で存在感を示し、2年の春には初のベストナインを受賞。その後も3度に渡りベストナインに選出されることとなった。3年生では大学日本代表に選出。4年生春のリーグ戦では打率.354、11打点の好成績を残すと、4年秋にはリーグと明治神宮大会を制して日本一に輝いた。2014年10月23日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから3位指名を受けて入団を決めた。
プロ初安打・初本塁打を記録、ルーキーイヤーで注目の若手に
ルーキーイヤーの2015年には、代打で登場した4月7日の対横浜戦でプロ初安打を放つと、7番中堅手で初の先発メンバーに連ねた4月28日の対ヤクルト戦では、成瀬善久からプロ初本塁打を記録。この年は56試合に出場し、5本塁打、16打点の活躍。打率.214と確実性に課題は残ったものの、チームのなかで一定の存在感を示した。
金本知憲新監督がチームをひきいた2016年には、代打で登場した4月3日の対横浜DeNA戦、4日の巨人戦。そして先発で出場した8日の対広島戦で3打席連続の本塁打を記録。さらに翌日も広島の黒田博樹から本塁打を放ち、出場した4試合連続本塁打を記録したが、目覚ましい活躍は長続きせず、最終的には72試合に出場し、打率.209、7本塁打、20打点の成績に終わっている。
挑戦と葛藤:打撃改造に取り組むも結果が伴わず、安定感を欠いたシーズンへ
その後も守備や走塁、そしてツボにハマった時の長打力で存在感を示し、多くのトラ党から期待が寄せられるものの、1割台の低打率に終わるシーズンが続いた。
2017年にはスイッチヒッター転向を視野に入れた左打ちの練習に取り組むも、翌年の開幕前に断念。一軍での出場は守備固めや代走を中心に28試合にとどまり、打率も.077に終わったが、二軍では打率こそ.212だったものの、リーグ2位の15本塁打、38打点、51得点の活躍でファームの日本一に貢献した。
2019年以降も一軍のベンチ入りを果たすものの、代走、守備要員としての起用が中心となり、2020年以降の3シーズンは一軍で安打のないシーズンを過ごすこととなった。
怪我を乗り越えて100試合出場!アカデミーコーチとしての新たな一歩
2022年のシーズンを終えた10月には、かつて阪神タイガースでプレーした新庄剛志監督が率いる北海道日本ハムファイターズへのトレード移籍が発表された。現役時代の新庄監督と重なる部分のある江越の再生に期待が寄せられる中、開幕を迎えることとなったが、2023年シーズンの開幕を控えた3月には右手首、4月には助骨を骨折した。だが、それでも試合に出場を続けた江越は、この年100試合に出場。打率.180の確実性には課題を残したものの、150打数27安打、5本塁打を記録し、6月9日の阪神戦では西純矢から本塁打を放つ活躍を見せた。だが、翌年は若手の台頭が著しいチーム事情も影響し、一軍出場はわずか19試合にとどまった。2024年オフに戦力外通告を言い渡され、その後引退を決断。2025年は古巣の阪神タイガースに戻りアカデミーコーチを務めることが発表された。
輪廓
名前:江越大賀(えごしたいが)
出身:長崎県
生年月日:1993年3月12日
身長/体重 :182cm/83kg
ポジション:外野手
投打:右投げ右打ち
ドラフト年:2014年ドラフト3位
経歴:海星高等学校ー駒沢大学ー阪神タイガースー北海道日本ハムファイターズ
通算成績
実働10年間:453試合出場 打率.184 604打数 111安打 18本塁打 51打点 32盗塁
※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)