告訴J3 Leaguer! “藤澤正太(FC Ryukyu)喜歡做你所說的話,我很抱歉...很遺憾地說.-久保秀夫的光環和琉球FC之間的相遇遭遇〜”
第1弾沢山の「イイね」ありがとうございます! 今回はタイヤ引きずり15歳の藤澤VS威風堂々な久保君とピッチで対峙した印象と自分がFC琉球に入るまでの流れと金子さんとの出会いについて書きます。
KING GEAR編集部
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2017/05/15
よくオーラって言葉耳にしますよね?
サッカーでもそれは確実にあって、顔を見たらどのくらいやるかがわかる。
試合前の整列の時点でそれを感じ、開始と同時のワンプレイでそれは確信に変わる。
僕の久保君に対するイメージはそれが全てです。
それをあの年齢で、あの立ち振る舞いとプレイができるのが凄い。
普通あの年齢なら自分より圧倒的に身体がでかい人達の中でやるだけでプレッシャーを感じ、更にその中で違いを見せることは出来ない。
自分がユースに一年で入った時の三年ですら
「すげー!!」
「身体ごっつー」
「どうやったらあんな風になれるんやろ」
みたいな尊敬や目標の眼差しで見ていたのに。。
それを実際にやってのけて、尚且つ違いや結果を出すメンタルと技術。
同じ年齢時にタイヤ引きずってた自分と彼を比較するのはおこがましいが、ここは題名通り、好き勝手言っちゃってすんません!
さて本業のスパイクについて語る前にもう1つ自分のエピソードを紹介させて下さい。
時間可以追溯到五年前。
その年の夏にドイツから帰国し日本でチームを探しはじめます。
(大学卒から佐川滋賀からドイツまでの話は「ラボーラのアスリートブログ藤澤典隆」で興味ある人は見て下さい)
途中からチームに練習参加して入団て実は凄く難しくて
今で言うJ3のチームに練習参加をし、その時は一週間の練習参加から始まり、いい印象だからもう一度来てくれないかがその後一週間の練習参加が三回(笑)
もちろん移動費滞在費は自腹。
好き勝手言わせてもらうといい印象なのはありがたいけど、どんだけ引っ張るねん!
それだけ悩むくらいならきっぱり「ない」と言われた方がきっぱり次に行けるからと。
圧倒的な実力と長所があれば話は変わるけど練習参加は本当に難しい。
結局取るからと言われていた話が年末の12月の中旬になって、いきなりなくなりました。
いやいや、この時期におじゃんってこれからどないしたらいいねん、セレクションも大概終わってたからね。。
かろうじであった今現在J2だった町田ゼルビアのセレクションは受けにいき、150人くらいいた中の最終選考の20人までは残ったけど結局ダメでした。
途方に暮れながら実家に帰り年があけ、ある夜の深夜。
パッと見たfacebookに出たFC琉球のセレクション案内。
セレクションね~。
いつかなー
どこでー?
1月某日 場所 名古屋 (実家は三重なので隣)
応募締め切り 案内を見たその日(あと2時間)
「まだ間に合うやんけーーー オカン漫喫行ってくる」
もうベッドで横なりながら見てたけどその瞬間、漫画喫茶にもうダッシュ。
これが途方に暮れていた自分の現状を打破した瞬間だったのかもしれない。
セレクション用紙印刷して書き始める
経歴
ポジション
アピールポイント などなど。
なんでなんだろね今でも自分でもよくわからないんだけど、アピールポイントって普通なら、自分はこんな選手で、 こんなプレイが出来ます得意です。ってことを書くんだろうけど。。
やけくそだったのかな。その時の自分は違った。笑
その時の履歴書のコピーがあればわかりやすかったんだけど。
書いた内容は簡単にはこんな感じ。
「俺を取ってください。必ず貢献するから。損はさせないから」
自分の苦労してきた話も絡めつつ
「自分にサッカーが出来る環境を下さい」
「サッカーに対する想いや熱は誰にも負けません」
アピールポイントと言うよりかは切実な今の自分の気持ちを書き方捉われ方を気にせず文にしたって感じで、結果それが当時FC琉球に関わって下さっていた金子さんの目に文章が止まり、この選手の文にはただならぬ熱がこもってたからと文章で入団決定したっぽいです(笑)
やっぱり「気持ちには引力がある」
入団当初はアマチュア契約で給料は0。
それでも良かった。
サッカー出来る環境さえあれば周囲を認めさせる自信が自分にはあったから、事実入団したその年の夏にプロ契約を勝ち取ったのであった。
よしやっとスタートラインにたったぞと実際に契約時の金額見た時はさすがにずっこけたけどね(笑)
では今回は、この辺でm(_ _)m
また、次回良ければ見て下さいね。
愛犬コタローでさようなら。
サッカーでもそれは確実にあって、顔を見たらどのくらいやるかがわかる。
試合前の整列の時点でそれを感じ、開始と同時のワンプレイでそれは確信に変わる。
僕の久保君に対するイメージはそれが全てです。
それをあの年齢で、あの立ち振る舞いとプレイができるのが凄い。
普通あの年齢なら自分より圧倒的に身体がでかい人達の中でやるだけでプレッシャーを感じ、更にその中で違いを見せることは出来ない。
自分がユースに一年で入った時の三年ですら
「すげー!!」
「身体ごっつー」
「どうやったらあんな風になれるんやろ」
みたいな尊敬や目標の眼差しで見ていたのに。。
それを実際にやってのけて、尚且つ違いや結果を出すメンタルと技術。
同じ年齢時にタイヤ引きずってた自分と彼を比較するのはおこがましいが、ここは題名通り、好き勝手言っちゃってすんません!
さて本業のスパイクについて語る前にもう1つ自分のエピソードを紹介させて下さい。
時間可以追溯到五年前。
その年の夏にドイツから帰国し日本でチームを探しはじめます。
(大学卒から佐川滋賀からドイツまでの話は「ラボーラのアスリートブログ藤澤典隆」で興味ある人は見て下さい)
途中からチームに練習参加して入団て実は凄く難しくて
今で言うJ3のチームに練習参加をし、その時は一週間の練習参加から始まり、いい印象だからもう一度来てくれないかがその後一週間の練習参加が三回(笑)
もちろん移動費滞在費は自腹。
好き勝手言わせてもらうといい印象なのはありがたいけど、どんだけ引っ張るねん!
それだけ悩むくらいならきっぱり「ない」と言われた方がきっぱり次に行けるからと。
圧倒的な実力と長所があれば話は変わるけど練習参加は本当に難しい。
結局取るからと言われていた話が年末の12月の中旬になって、いきなりなくなりました。
いやいや、この時期におじゃんってこれからどないしたらいいねん、セレクションも大概終わってたからね。。
かろうじであった今現在J2だった町田ゼルビアのセレクションは受けにいき、150人くらいいた中の最終選考の20人までは残ったけど結局ダメでした。
途方に暮れながら実家に帰り年があけ、ある夜の深夜。
パッと見たfacebookに出たFC琉球のセレクション案内。
セレクションね~。
いつかなー
どこでー?
1月某日 場所 名古屋 (実家は三重なので隣)
応募締め切り 案内を見たその日(あと2時間)
「まだ間に合うやんけーーー オカン漫喫行ってくる」
もうベッドで横なりながら見てたけどその瞬間、漫画喫茶にもうダッシュ。
これが途方に暮れていた自分の現状を打破した瞬間だったのかもしれない。
セレクション用紙印刷して書き始める
経歴
ポジション
アピールポイント などなど。
なんでなんだろね今でも自分でもよくわからないんだけど、アピールポイントって普通なら、自分はこんな選手で、 こんなプレイが出来ます得意です。ってことを書くんだろうけど。。
やけくそだったのかな。その時の自分は違った。笑
その時の履歴書のコピーがあればわかりやすかったんだけど。
書いた内容は簡単にはこんな感じ。
「俺を取ってください。必ず貢献するから。損はさせないから」
自分の苦労してきた話も絡めつつ
「自分にサッカーが出来る環境を下さい」
「サッカーに対する想いや熱は誰にも負けません」
アピールポイントと言うよりかは切実な今の自分の気持ちを書き方捉われ方を気にせず文にしたって感じで、結果それが当時FC琉球に関わって下さっていた金子さんの目に文章が止まり、この選手の文にはただならぬ熱がこもってたからと文章で入団決定したっぽいです(笑)
やっぱり「気持ちには引力がある」
入団当初はアマチュア契約で給料は0。
それでも良かった。
サッカー出来る環境さえあれば周囲を認めさせる自信が自分にはあったから、事実入団したその年の夏にプロ契約を勝ち取ったのであった。
よしやっとスタートラインにたったぞと実際に契約時の金額見た時はさすがにずっこけたけどね(笑)
では今回は、この辺でm(_ _)m
また、次回良ければ見て下さいね。
愛犬コタローでさようなら。