方正K的告別·外卷vol.22“我將成為身體脂肪的大反擊29.9%/我會成為我的身體!第15部分 - 隨著青少年的出現,它會激勵我採取一個渦輪增壓“
當我和孩子一起去泳池時,這將是一個尷尬的身體! Kimiko Tatsuhito(50歲)是一位不喜歡運動的國王裝備推廣者,遇到與私人教練的交鋒,並開始為裸體而進行訓練。一年過去了,一位朋友加入了單獨工作的培訓。
金子 達仁
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2017/01/31
基本、他人のことは褒めるようにしている。
理由はいろいろあって、説明していくとキリがないので省略するが、一つ言えるのは、わたし自身が褒め言葉によって救われた経験がある、ということである。
もう22年も昔のことになる。勤めていた出版社を辞め、スペインに留学したわたしは、ぶっちゃけ、腐っていた。
語学なんか、行けばなんとかなる。何の根拠もなくそう思い込んでいたわたしは、出発前、何の勉強もしなかった。辞書を買って、もうそれだけ。バルセロナに行って語学学校に行けば、オートマチックにしゃべれるようになると思っていた。
なので、語学学校初日の衝撃は大きかった。
振り分けられたのは初級クラス。29歳のわたしはだんとつでクラス最年長。それは覚悟していたことだったのだが、予想外だったのは、日本を含めた世界各国から集まった十数名のクラスメイトの中で、我がスペイン語能力がずば抜けて低かった、ということだった。
というか、何の下準備もしてこなかったのは、わたしだけだった。
なので、授業がさっぱりわからない。
何がわからないのか、ということ自体がそもそもわからない。チリ人の担任教師エリック・セルダは英語とスペイン語を交えて初日の授業を始めたのだが、こちとら学生時代の英語の試験を努力や学力ではなく、磨き上げた不正なテクニックで乗り切ってきてしまった人間である。
わかるわけがない。しかも、わからないながらも、エリックが「英語を使うのは今日だけだ。明日からはスペイン語だけで行くからね」と言ったらしいことはわかった。アメリカやイギリスから来た生徒たちが不満げな声をあげてくれたおかげで。
で、2日目からはプロのマラソンランナーと持久走を競争するようなハメになった。
先生が問題を出す。円卓を囲んだ生徒たちが順番に答えていく。わたしの番になる。日本人生徒のため息が聞こえる。
ずば抜けてダメなわたしは、彼女たちにとって日本の恥ともいうべき存在だったのだろう。死ぬほど悔しくてみじめ。でも、答えられないわたし。先生が肩をすくめてパスを指示する──。
というわけで、わたしはすぐに腐った。ただ、当時はいまと違ってインターネットはないし、テレビを見ても何を言っているのかがわからない。新聞、雑誌は言うに及ばず。唯一言葉がわからなくても楽しめるサッカーは、基本、週末に1~2試合が放映されるのみ。
学校はわからない。仕事はまったくない。ヒマをもてあましたわたしがたどりついたのが、RPGだった。ドラクエとフィナルファンタジーにずっぽりはまったのである。
だから、あのまま褒め言葉に出会わなかったら、いやはやどうなっていたことか。
わたしがバルセロナに渡ってから3カ月後、つまり人生で一番RPGをやり込んでいた時期に、わたしと同じ理由で、バルセロナに留学してきた日本人がいた。クライフのサッカーが見たい。スペイン語が勉強したい。そう考えて山梨県庁を退職してしまったのである。
で、その人がスペインにやってきた早々、褒めてくれたのだ。
「すごいねえ、カネコ君って。たった3カ月でそんなにしゃべれて」
おいおい、である。こっちは自分のあまりのダメさでRPGに逃げまくっていたのに、その人、羽中田昌さんはわたしのスペイン語がすごいと言う。ただ空港からホテルまでタクシーに乗って、レストランで注文しただけなのに。
でも、猛烈に嬉しかった。
自分ではまったく成長できていないように感じていたし、それはクラスメイトと比べれば一目瞭然だったが、それでも、日本から来たばかりの人からすると、ちょっとまぶしく見えるぐらいには成長していたらしい。
現金なもので、翌日からのわたしは生まれ変わった。どうせわかんねえし、とふてくされていた学校での授業態度を改め、先生を質問責めにするようになった──。
なあんてことを、思い出した。
『ボディゴールド』に、後輩が加わった。キングギアで一緒にやっているフジマキ君が、徐々に身体つきが変化しているわたしに触発された形で「じゃ、ぼくも始めよっかな」ということになったのである。
すると、今度は彼に触発される形で、フジマキ君の友人3人も『ボディゴールド』でトレーニングを始めることになった。
彼らの初回は、わたしのトレーニングのあとだった。
で、言われたのだ。
「カネコさんって、もうすっかりアスリートの身体になってるじゃないですか。ぼくらでもホントにそんなふうになれるんですかね」
てなわけで、いよいよやる気にターボがかかってしまったわたしである。
理由はいろいろあって、説明していくとキリがないので省略するが、一つ言えるのは、わたし自身が褒め言葉によって救われた経験がある、ということである。
もう22年も昔のことになる。勤めていた出版社を辞め、スペインに留学したわたしは、ぶっちゃけ、腐っていた。
語学なんか、行けばなんとかなる。何の根拠もなくそう思い込んでいたわたしは、出発前、何の勉強もしなかった。辞書を買って、もうそれだけ。バルセロナに行って語学学校に行けば、オートマチックにしゃべれるようになると思っていた。
なので、語学学校初日の衝撃は大きかった。
振り分けられたのは初級クラス。29歳のわたしはだんとつでクラス最年長。それは覚悟していたことだったのだが、予想外だったのは、日本を含めた世界各国から集まった十数名のクラスメイトの中で、我がスペイン語能力がずば抜けて低かった、ということだった。
というか、何の下準備もしてこなかったのは、わたしだけだった。
なので、授業がさっぱりわからない。
何がわからないのか、ということ自体がそもそもわからない。チリ人の担任教師エリック・セルダは英語とスペイン語を交えて初日の授業を始めたのだが、こちとら学生時代の英語の試験を努力や学力ではなく、磨き上げた不正なテクニックで乗り切ってきてしまった人間である。
わかるわけがない。しかも、わからないながらも、エリックが「英語を使うのは今日だけだ。明日からはスペイン語だけで行くからね」と言ったらしいことはわかった。アメリカやイギリスから来た生徒たちが不満げな声をあげてくれたおかげで。
で、2日目からはプロのマラソンランナーと持久走を競争するようなハメになった。
先生が問題を出す。円卓を囲んだ生徒たちが順番に答えていく。わたしの番になる。日本人生徒のため息が聞こえる。
ずば抜けてダメなわたしは、彼女たちにとって日本の恥ともいうべき存在だったのだろう。死ぬほど悔しくてみじめ。でも、答えられないわたし。先生が肩をすくめてパスを指示する──。
というわけで、わたしはすぐに腐った。ただ、当時はいまと違ってインターネットはないし、テレビを見ても何を言っているのかがわからない。新聞、雑誌は言うに及ばず。唯一言葉がわからなくても楽しめるサッカーは、基本、週末に1~2試合が放映されるのみ。
学校はわからない。仕事はまったくない。ヒマをもてあましたわたしがたどりついたのが、RPGだった。ドラクエとフィナルファンタジーにずっぽりはまったのである。
だから、あのまま褒め言葉に出会わなかったら、いやはやどうなっていたことか。
わたしがバルセロナに渡ってから3カ月後、つまり人生で一番RPGをやり込んでいた時期に、わたしと同じ理由で、バルセロナに留学してきた日本人がいた。クライフのサッカーが見たい。スペイン語が勉強したい。そう考えて山梨県庁を退職してしまったのである。
で、その人がスペインにやってきた早々、褒めてくれたのだ。
「すごいねえ、カネコ君って。たった3カ月でそんなにしゃべれて」
おいおい、である。こっちは自分のあまりのダメさでRPGに逃げまくっていたのに、その人、羽中田昌さんはわたしのスペイン語がすごいと言う。ただ空港からホテルまでタクシーに乗って、レストランで注文しただけなのに。
でも、猛烈に嬉しかった。
自分ではまったく成長できていないように感じていたし、それはクラスメイトと比べれば一目瞭然だったが、それでも、日本から来たばかりの人からすると、ちょっとまぶしく見えるぐらいには成長していたらしい。
現金なもので、翌日からのわたしは生まれ変わった。どうせわかんねえし、とふてくされていた学校での授業態度を改め、先生を質問責めにするようになった──。
なあんてことを、思い出した。
『ボディゴールド』に、後輩が加わった。キングギアで一緒にやっているフジマキ君が、徐々に身体つきが変化しているわたしに触発された形で「じゃ、ぼくも始めよっかな」ということになったのである。
すると、今度は彼に触発される形で、フジマキ君の友人3人も『ボディゴールド』でトレーニングを始めることになった。
彼らの初回は、わたしのトレーニングのあとだった。
で、言われたのだ。
「カネコさんって、もうすっかりアスリートの身体になってるじゃないですか。ぼくらでもホントにそんなふうになれるんですかね」
てなわけで、いよいよやる気にターボがかかってしまったわたしである。
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