IT公司挑戰底部支持體育界的事情“第二卷”為了用IT的力量推動五人制足球,我當時去了“初步報告”
以IT方式穩定支持體育運動的人們軟件。在第二集中,Tomohiko Kogure先生談到了總統的兒子Kenichiiro Kogure,他對五人制足球界的熱情。
瀨川大輔
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2017/12/15
■継続的にスポーツ事業に関わることが出来る理由が良くわかりました。それでは、次にフットサル界のことを伺わせてください。何でも、木暮社長は、フットサル界の生き字引的な存在だと伺いましたが・・・。
木暮 いやいや、そんな大層なものではないんですが(笑)。私がフットサルと出会ったのは、息子が大学に入ったころですから、1999年くらいでしたかね。
もともと、息子が小学校4年生のとき、当時の読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)の下部組織のセレクションに合格して、夫婦で息子のサッカーを応援していたんですけれど、息子は身長も小さくて、なかなかレギュラーになれなかった。
そのまま中学の3年間は読売サッカークラブでプレーしましたが、高校入学時に、上のカテゴリーに上がることができませんでした。
そこで、湘南工科大学附属高等学校のサッカー部でプレーを続けて上を目指していましたが、大学に入学したころに、練習場でフットサルをプレーしてみたところ、「フットサルは自分に合ってるんじゃないか」というんです。
そんなに言うなら一度観に行ってみようということで、興味本位で観戦に行ってみたら、非常にスピーディで、攻守の切り替わりも激しいし、スペースを作る動きや消す動きなど、非常に頭を使う競技だし、なにより点がたくさん入る。これはすごいスポーツだなと大きな関心をもってしまいました。
その後、息子は、運も良かったんでしょうけど、大学2年生のころに、フットサル日本代表に選ばれて。
ちょうどその頃は、フットサルに対しての偏見が大きかった時代でしたね。「やたらとボールをナメまわすような癖がついてしまうから、フットサルはやるな」と言うサッカー関係者が多かったです。でも、海外事情を調べてみると、ロナウジーニョをはじめとするスーパースターも幼少期にフットサルをやっていたことを知り、大きな可能性があることもわかってきた。
そこで、おこがましい話ですけど、フットサルをもっと広めることが、サッカー界全体の底上げにもつながるだろうという想いが強くなり、私自身もますますフットサルに関わっていくようになりました。
■IT企業の社長である木暮さんが、フットサル界とどのような関わり方をしたのでしょうか?
木暮 ITの力でフットサルを広めるために、当時、私が行ったのは「速報」でした。関東フットサルリーグ(以下、関東リーグ)の試合会場に行って、1日5試合、パソコンの前で、ひたすらフットサルの速報をWEBサイトに掲載しました。
その頃は、インターネットテレビもツイッターのようなSNSもない時代でしたから、速報のためのシステムを技術者に作らせてね。そんなことをやって、関東リーグの広報委員長なんかもやらせてもらって、競技普及のお手伝いをしていましたね。
■その頃はFリーグのような全国リーグが時代でしたよね?その当時のことを、木暮社長自身が書かれた記事を読んだことがあります。
木暮フットサルの黎明期の頃の10数年間の歴史を、しっかり後世に残さないとイカンという使命感に駆られて、書きましたね。そのころのフットサル界は、チームの合従連衡が本当に激しかったんですよ。
日本一になりたいとか、あのチームに勝ちたいとか、そういう想いでチームが合併したり、分裂したり。プロクラブではないので、あのチームの上手いヤツを引き抜くとか、あのチームを取り込んで合併するとか、そういった勢力図の変化が本当に面白くてね。
だから、記事には、「関東フットサル三国志」というタイトルを付けました。
■その頃と今のフットサル界では何が変わりましたか?
木暮 昔だと、上手いヤツがいると、それがたちまち噂になって、日本代表に抜擢されることもあるような時代でした。でも今は、サッカー協会が作ったピラミット構造の中で、下から上がっていって、トップリーグでプレーして活躍して初めて日本代表に選ばれていくので、夢みたいなのは減りましたよね。
また、Fリーグが出来て、国内の競技レベルは一気に上がりましたが、一方では、海外に飛び出て行って、一発勝負してやろうっていう気概のある選手が少なくなった気がします。昔は、みんな海外に飛び出て行ってましたからね。
今でも全日本フットサル選手権というのがあるんですけど、当時は、サッカーの上手い人間が集まって、練習を重ねながら上を目指すなんていうことが出来た時代でした。
今は、Fリーグのチームにシード権が与えられていて、アマチュアチームが1つずつ登りつめて行って、日本一を取るなんていうことは、ほぼ起きえないシステムになりましたね。競技レベルが上がっているので、当然のことなんですけれど、もう少し別の形で、下剋上が起きえるような状況を作ってもらえたら面白い気はしますね。せめて、Fリーグに入れ替え戦を作るとかね。
フットサル日本代表だって、Fリーグの選手だけではなくて、もっと広く選抜しても面白いと思いますし、U-20の日本代表に力を入れるとか、夢を持てるような仕組みがあると良いなと思うんですけどね。
■スポーツをビジネス的な側面で支えていることをご紹介するつもりが、フットサル界そのものの歴史や今後の意見まで話が脱線しました(笑)。話をビジネス面に戻します。次は、「みんサル」のことを聞かせてください。
第3話へ続く http://king-gear.com/articles/624
木暮 いやいや、そんな大層なものではないんですが(笑)。私がフットサルと出会ったのは、息子が大学に入ったころですから、1999年くらいでしたかね。
もともと、息子が小学校4年生のとき、当時の読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)の下部組織のセレクションに合格して、夫婦で息子のサッカーを応援していたんですけれど、息子は身長も小さくて、なかなかレギュラーになれなかった。
そのまま中学の3年間は読売サッカークラブでプレーしましたが、高校入学時に、上のカテゴリーに上がることができませんでした。
そこで、湘南工科大学附属高等学校のサッカー部でプレーを続けて上を目指していましたが、大学に入学したころに、練習場でフットサルをプレーしてみたところ、「フットサルは自分に合ってるんじゃないか」というんです。
そんなに言うなら一度観に行ってみようということで、興味本位で観戦に行ってみたら、非常にスピーディで、攻守の切り替わりも激しいし、スペースを作る動きや消す動きなど、非常に頭を使う競技だし、なにより点がたくさん入る。これはすごいスポーツだなと大きな関心をもってしまいました。
その後、息子は、運も良かったんでしょうけど、大学2年生のころに、フットサル日本代表に選ばれて。
ちょうどその頃は、フットサルに対しての偏見が大きかった時代でしたね。「やたらとボールをナメまわすような癖がついてしまうから、フットサルはやるな」と言うサッカー関係者が多かったです。でも、海外事情を調べてみると、ロナウジーニョをはじめとするスーパースターも幼少期にフットサルをやっていたことを知り、大きな可能性があることもわかってきた。
そこで、おこがましい話ですけど、フットサルをもっと広めることが、サッカー界全体の底上げにもつながるだろうという想いが強くなり、私自身もますますフットサルに関わっていくようになりました。
■IT企業の社長である木暮さんが、フットサル界とどのような関わり方をしたのでしょうか?
木暮 ITの力でフットサルを広めるために、当時、私が行ったのは「速報」でした。関東フットサルリーグ(以下、関東リーグ)の試合会場に行って、1日5試合、パソコンの前で、ひたすらフットサルの速報をWEBサイトに掲載しました。
その頃は、インターネットテレビもツイッターのようなSNSもない時代でしたから、速報のためのシステムを技術者に作らせてね。そんなことをやって、関東リーグの広報委員長なんかもやらせてもらって、競技普及のお手伝いをしていましたね。
■その頃はFリーグのような全国リーグが時代でしたよね?その当時のことを、木暮社長自身が書かれた記事を読んだことがあります。
木暮フットサルの黎明期の頃の10数年間の歴史を、しっかり後世に残さないとイカンという使命感に駆られて、書きましたね。そのころのフットサル界は、チームの合従連衡が本当に激しかったんですよ。
日本一になりたいとか、あのチームに勝ちたいとか、そういう想いでチームが合併したり、分裂したり。プロクラブではないので、あのチームの上手いヤツを引き抜くとか、あのチームを取り込んで合併するとか、そういった勢力図の変化が本当に面白くてね。
だから、記事には、「関東フットサル三国志」というタイトルを付けました。
■その頃と今のフットサル界では何が変わりましたか?
木暮 昔だと、上手いヤツがいると、それがたちまち噂になって、日本代表に抜擢されることもあるような時代でした。でも今は、サッカー協会が作ったピラミット構造の中で、下から上がっていって、トップリーグでプレーして活躍して初めて日本代表に選ばれていくので、夢みたいなのは減りましたよね。
また、Fリーグが出来て、国内の競技レベルは一気に上がりましたが、一方では、海外に飛び出て行って、一発勝負してやろうっていう気概のある選手が少なくなった気がします。昔は、みんな海外に飛び出て行ってましたからね。
今でも全日本フットサル選手権というのがあるんですけど、当時は、サッカーの上手い人間が集まって、練習を重ねながら上を目指すなんていうことが出来た時代でした。
今は、Fリーグのチームにシード権が与えられていて、アマチュアチームが1つずつ登りつめて行って、日本一を取るなんていうことは、ほぼ起きえないシステムになりましたね。競技レベルが上がっているので、当然のことなんですけれど、もう少し別の形で、下剋上が起きえるような状況を作ってもらえたら面白い気はしますね。せめて、Fリーグに入れ替え戦を作るとかね。
フットサル日本代表だって、Fリーグの選手だけではなくて、もっと広く選抜しても面白いと思いますし、U-20の日本代表に力を入れるとか、夢を持てるような仕組みがあると良いなと思うんですけどね。
■スポーツをビジネス的な側面で支えていることをご紹介するつもりが、フットサル界そのものの歴史や今後の意見まで話が脱線しました(笑)。話をビジネス面に戻します。次は、「みんサル」のことを聞かせてください。
第3話へ続く http://king-gear.com/articles/624