專訪在荷蘭苦苦掙扎的 Van Wermeskerken (SC Cambuur) “Vol.2 玻璃心的 Ventforet 時代”
高中畢業後,他在沒有通過J聯賽的情況下在荷甲(荷蘭甲級聯賽)首次亮相。他在荷蘭的成功引起了他的注意,並於 2016 年入選了以里約奧運會為目標的 U-23 日本國家隊。我們請 Sai van Wermeskerken 先生詳細介紹他的出身和現在。
小池菊池
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2018/06/21
Vol.1從這裡開始
―― その時に感じたカルチャーギャップや、楽しかった事など何か覚えていることはありますか?
邊緣 NECナイメヘンとドルトレヒトというチームの練習に参加しました。やはりNECはその時はエールディヴィジ(1部リーグ)のクラブで、ドルトレヒトはジュピラーリーグ(2部リーグ)のチームで、そこでの違いもありました。
NECはプロというか、選ばれた選手たちが来ています。何が面白いって、僕がいきなり練習に参加した際に監督が「彼は数日に渡り練習参加しに来たんだよ」とは言わなかったんです。
完全に子どもたちにコイツはトライアルでここに入ろうとしている選手だと思わせたんです。その為、ライバルだと思われて、初めの数日の練習はもうボールがまわってこなくて大変でした(笑)
―― 際さんが入ったら誰か抜けないといけなくなりますもんね。
邊緣 そうです、ポジション争いになるんで。やっぱり、そこのプロ意識だったり競争意識はその年代からあるんだなという部分を凄く感じました。
でも、そこに対してちゃんと環境が整っているんです。学校は午前中だけ行って、午後はサッカーの練習で、全部送迎付きなんです。そういう環境が整っているので、そこに関しては、凄いカルチャーショックでしたね。全く日本にはない文化だったので、だいぶ驚きました。
―― 素晴らしい環境ですね!午後からはたっぷりサッカーする時間があって、しかも送迎付きとは。
邊緣 そこはクラブと学校がちゃんと話し合って、連携が出来ているみたいでした。
―― 2週間練習に参加して、現地の文化も知って、その思いをずっと中学・高校とサッカーをやりながら抱えていたんですよね?
邊緣 そうです。そこは前提というか頭に入れておきながら、忘れないようにプレーしていました。
―― 高校を卒業して実際にオランダへ行かれるわけじゃないですか。そこのストーリーを教えてください。
邊緣 ヴァンフォーレのユースがほぼ毎試合の映像を撮ってくれていたので、まず自分で映像を編集してゴール集をひとつ作りました。そのゴール集をメールでオランダの各チームに送って、「練習参加させてください」とまずコンタクトを取りました。
―― そこから何チームかから返信がきて、練習参加したりした訳ですね。
邊緣 そうですね。受け付けてくれないチームもありましたが、ドルトレヒトは、僕が12歳の時にオランダに来て2週間練習参加をしていた事を覚えてくれていたんです。その縁もあって、ドルトレヒトでキャリアがスタートしました。
―― それが2013年くらいですか?
邊緣 そうですね。
―― 19歳ですよね。最初はアマチュア契約だったと思うんですけど、日本でずっとサッカーをやってきて、何が一番違いました?プレーもそうですし、メンタリティも含めて教えてください。
邊緣 まぁ、容赦ないというか。何て言うんですかね。来た当初は言葉もしゃべれませんし、文化的にも違いますし、僕自身が自分から何かを発信する性格でもなかったんです。
そういう待ちの状態でいると海外では厳しいですよね。容赦なく、そこはつぶしにくるというか、蹴落としてでもという勢いがあるので。サッカーが上手い下手の以前に、闘志の部分での違いは強く感じましたよね。
―― 確かに海外の選手は自分のミスでも「お前のミスだろ!」という感じで言ってくるじゃないですか。そこでもし「ごめん」とか謝ったらもう終わりですよね。自分のせいではないのに自分のせいになってしまいますよね。
邊緣 まさしくそういったことです。
―― ヴァンフォーレの時はそんなに言うタイプではなかったのですか?
邊緣 まったくですね。ジュニアユース、ユースと、監督からはガラスのメンタルとイジられてきたんで(笑)僕はそんなにメンタルは強くなかった方だと思いますね。プレッシャーがかかるところとかそういう部分で弱さが出ることがありましたね。
―― そこが課題だったものの強制的に戦わなくてはいけない環境に来てしまった訳ですね。
邊緣 そうです。日本にいたら埋もれているというか、何も起きずに終わっていたと思うんです。でもやっぱりオランダに来て始めの1年は辛かったですけどね。
誰ひとり日本人にも会わず、本当にミニマムの生活で何とか頑張って生活をして、その中でやっぱり殻を破るではないですけど、一歩ずつ踏み出せたんです。
そのお陰で性格はガラっというか、もっとちゃんと自分というものを表現できる人間になったんじゃないかなと思います。
―― 今日の練習もいろんな選手と話していたり、ジェスチャーなどで表現しているシーンが多かったですけど、昔はそんなんじゃなかったんですね?
際 昔はなかったですね。今の方が全然あります。言ってナンボですし、プレーで見せてナンボなんで。僕も他の選手がミスしたら「オイ!」ってジェスチャーしますし、ミスした選手も「オイ!」ってジェスチャーし返してきます。
喧嘩ではないですけど、意見のぶつかり合いが、ある意味で考えの共有になるので。海外はそれが激しい形ではありますが。そうやって、ひとつのチームになっていくと思います。
―― なるほど。意見をぶつけ合うのもコミュニケーションのひとつですよね。
邊緣 そうです。もちろん、皆でご飯を食べたりとか、プレシーズンでレクリエーションして仲良くなっていくというパターンもありますけど、海外はどちらかというとピッチの上で戦って、意見をぶつけあって、それがドンドンひとつの方向に固まっていくものだと思っています。
按照Vol.3
写真:菊池康平
―― その時に感じたカルチャーギャップや、楽しかった事など何か覚えていることはありますか?
邊緣 NECナイメヘンとドルトレヒトというチームの練習に参加しました。やはりNECはその時はエールディヴィジ(1部リーグ)のクラブで、ドルトレヒトはジュピラーリーグ(2部リーグ)のチームで、そこでの違いもありました。
NECはプロというか、選ばれた選手たちが来ています。何が面白いって、僕がいきなり練習に参加した際に監督が「彼は数日に渡り練習参加しに来たんだよ」とは言わなかったんです。
完全に子どもたちにコイツはトライアルでここに入ろうとしている選手だと思わせたんです。その為、ライバルだと思われて、初めの数日の練習はもうボールがまわってこなくて大変でした(笑)
―― 際さんが入ったら誰か抜けないといけなくなりますもんね。
邊緣 そうです、ポジション争いになるんで。やっぱり、そこのプロ意識だったり競争意識はその年代からあるんだなという部分を凄く感じました。
でも、そこに対してちゃんと環境が整っているんです。学校は午前中だけ行って、午後はサッカーの練習で、全部送迎付きなんです。そういう環境が整っているので、そこに関しては、凄いカルチャーショックでしたね。全く日本にはない文化だったので、だいぶ驚きました。
―― 素晴らしい環境ですね!午後からはたっぷりサッカーする時間があって、しかも送迎付きとは。
邊緣 そこはクラブと学校がちゃんと話し合って、連携が出来ているみたいでした。
―― 2週間練習に参加して、現地の文化も知って、その思いをずっと中学・高校とサッカーをやりながら抱えていたんですよね?
邊緣 そうです。そこは前提というか頭に入れておきながら、忘れないようにプレーしていました。
―― 高校を卒業して実際にオランダへ行かれるわけじゃないですか。そこのストーリーを教えてください。
邊緣 ヴァンフォーレのユースがほぼ毎試合の映像を撮ってくれていたので、まず自分で映像を編集してゴール集をひとつ作りました。そのゴール集をメールでオランダの各チームに送って、「練習参加させてください」とまずコンタクトを取りました。
―― そこから何チームかから返信がきて、練習参加したりした訳ですね。
邊緣 そうですね。受け付けてくれないチームもありましたが、ドルトレヒトは、僕が12歳の時にオランダに来て2週間練習参加をしていた事を覚えてくれていたんです。その縁もあって、ドルトレヒトでキャリアがスタートしました。
―― それが2013年くらいですか?
邊緣 そうですね。
―― 19歳ですよね。最初はアマチュア契約だったと思うんですけど、日本でずっとサッカーをやってきて、何が一番違いました?プレーもそうですし、メンタリティも含めて教えてください。
邊緣 まぁ、容赦ないというか。何て言うんですかね。来た当初は言葉もしゃべれませんし、文化的にも違いますし、僕自身が自分から何かを発信する性格でもなかったんです。
そういう待ちの状態でいると海外では厳しいですよね。容赦なく、そこはつぶしにくるというか、蹴落としてでもという勢いがあるので。サッカーが上手い下手の以前に、闘志の部分での違いは強く感じましたよね。
―― 確かに海外の選手は自分のミスでも「お前のミスだろ!」という感じで言ってくるじゃないですか。そこでもし「ごめん」とか謝ったらもう終わりですよね。自分のせいではないのに自分のせいになってしまいますよね。
邊緣 まさしくそういったことです。
―― ヴァンフォーレの時はそんなに言うタイプではなかったのですか?
邊緣 まったくですね。ジュニアユース、ユースと、監督からはガラスのメンタルとイジられてきたんで(笑)僕はそんなにメンタルは強くなかった方だと思いますね。プレッシャーがかかるところとかそういう部分で弱さが出ることがありましたね。
―― そこが課題だったものの強制的に戦わなくてはいけない環境に来てしまった訳ですね。
邊緣 そうです。日本にいたら埋もれているというか、何も起きずに終わっていたと思うんです。でもやっぱりオランダに来て始めの1年は辛かったですけどね。
誰ひとり日本人にも会わず、本当にミニマムの生活で何とか頑張って生活をして、その中でやっぱり殻を破るではないですけど、一歩ずつ踏み出せたんです。
そのお陰で性格はガラっというか、もっとちゃんと自分というものを表現できる人間になったんじゃないかなと思います。
―― 今日の練習もいろんな選手と話していたり、ジェスチャーなどで表現しているシーンが多かったですけど、昔はそんなんじゃなかったんですね?
際 昔はなかったですね。今の方が全然あります。言ってナンボですし、プレーで見せてナンボなんで。僕も他の選手がミスしたら「オイ!」ってジェスチャーしますし、ミスした選手も「オイ!」ってジェスチャーし返してきます。
喧嘩ではないですけど、意見のぶつかり合いが、ある意味で考えの共有になるので。海外はそれが激しい形ではありますが。そうやって、ひとつのチームになっていくと思います。
―― なるほど。意見をぶつけ合うのもコミュニケーションのひとつですよね。
邊緣 そうです。もちろん、皆でご飯を食べたりとか、プレシーズンでレクリエーションして仲良くなっていくというパターンもありますけど、海外はどちらかというとピッチの上で戦って、意見をぶつけあって、それがドンドンひとつの方向に固まっていくものだと思っています。
按照Vol.3
写真:菊池康平