日語第一!一個專業hobbyro Norikazu松浦的愚蠢故事Vol.5“最好的承諾是贏得!”
日本人初のプロのホぺイロとして東京ヴェルディや名古屋グランパスなどで25年に渡り活躍してきた松浦紀典さん。物への矜持や印象に残っている選手のこだわりなどについて約8時間に渡り聞いてきました。Vol5.では固定背番号制ではない時代の苦労やミックスソールを編み出した話などを聞きました。
小池菊池
|
2017/07/10
<點此看第一次採訪>
<第二次採訪請點此>
<インタビュー第3回はこちら>
<インタビュー第4回はこちら>
――やっぱり深い仕事ですね。色んな選手の細かな特徴とかも把握されているんですね。 スパイクだけじゃなくて、ロッカールームの配置も仲の良い選手と隣にしたりとかしているんですか?
松浦:そういうのもありますね!例えばカズさんと北澤さんとか、当時大変だったのは背番号が固定じゃなかったんですよ。1~11番がスタメン、12~16番がベンチメンバーでした。
1度だけラモスさんが怪我上がりの時にベンチスタートだったんですよ。「何で俺が14番なんだよ!!」ってめちゃくちゃ怒って「ラモスさん、ルールなんですよ!」って言っても「俺10番じゃなきゃ出ない!」って言ってました。
「ラモスさん、こういうルールなので」って必死に説得しました。当時は色々と大変でしたけど今は本当にいい思い出です。
――ユニホームの番号が毎回違うとサイズも違ってくるし、大変ですよね。
松浦:固定番号制じゃないと大変ですよ。
――1996年くらいでしたっけ?固定番号になったのって。
松浦:そうですね、97年かな。そのくらいですね。 それまではどの番号も各サイズ持っていかないと誰がスタメンで出るか分からないので大変でしたね。
――そうですよね、特にヴェルディみたいな選手層の厚いチームは大変ですね。
松浦:90分前とかにメンバーを提出しなければいけないと決まっているんですけど、当時松木安太郎さんが監督をされてて、16人がメンバー入りなんですけど体調ですとか戦術的なことから17人で遠征に行く時がありました。
そのメンバー提出ギリギリの1~2分前まで決めれないっていう時があって、そういう時にはギリギリで変わるわけじゃないですか。
――サイズも変わってしまいますね。
松浦:そうなんですよ。よくベゼーハさんが2人のどっちかだから決めて下さい!って言っても松木さんは「ちょっと待ってくれ!あと1分あるだろう。」みたいなことを言っていて(笑)結局、この選手でみたいな。
――けっこうそういう苦労話もありそうですね。
松浦:ほんとに話がつきなくなっちゃうくらい、いっぱいありますけどね。ただ自分の誕生日の日に天皇杯があって、カズさんが「マツ、今日お前の誕生日だろ!今日ゴール決めるから」って言ってくださって、当時鳥栖スタジアムが出来たばかりの頃で、なぜか鳥栖で鹿島と準決勝をやったんですよ。カズさんのゴールで勝利してそれは嬉しかったですね!
――かっこいいですね!もはや惚れてしまいますね。 話は変わりますがカメルーン人のエムボマ選手のこだわりはどうでした?
松浦:エムボマ選手とはかぶってないんですよ。エムボマ選手が加入したのが2003年なので。私が名古屋グランパスに移っての1年目の年だったので。
その前にエドウィンっていうカメルーン人の選手とはヴェルディで一緒にやってますけど。
――エドウィン選手のこだわりはいかがでした?
松浦:エドウィン選手はエムボマ選手の強烈な印象が残ってるのでカメルーン人は全員エムボマかと思ったら、そんな事なかったんですけど、めちゃくちゃいい人でしたね。
――やっぱり今思うと当時のヴェルディみたいなオールスターのようなチームがまた出てきてほしいです。
松浦:みんな色んなこだわりがあったんですよ。私服にしても車にしても。ただ1番こだわっていたのは「勝つこと」なんです。勝つことだけにはこだわってましたね。喧嘩している同士でもグランドに入っちゃったらパス交換しますし、試合中に大喧嘩してしまった事もありまして、大変でしたよ。
――誰と誰がですか?
松浦:当時、ビスマルク選手と柱谷選手がヤマハスタジアムでマークの受け渡しとかで喧嘩しながらロッカーに帰って来るんですよ。ロッカーの中で取っ組み合いで、当時ネルシーニョ監督で「お前ら喧嘩するなら使わない。」って言って。
ホワイトボードがあってネルシーニョ監督のやり方で対戦相手と自分たちの人数分のマグネットを置いてるんですよ。
そしたらネルシーニョ監督が怒ってホワイトボードをパンッって叩いて、バッて取れちゃったんですよ。それで落ち着いて「ここからは戦術的なミーティングするぞ」って言った時にマグネットが足りないんですよ。
そしたら今度は「まっちゃん!2人いないぞ選手が!」とか言って(笑) いやーって思いながら必死で探して、ちょうどベンチにいましたとか言って(笑) そういう熱いチームでしたね。
――何かで読んだんですけど、中村忠さんと柱谷さんだけミックスソールで、それは松浦さんが作っちゃったという話は本当なんですか?
松浦:最初、ミックスソールを作ったんですけれど、ミズノさんから「これは絶対に市販化した方がいい」って言われて、作ってくれるようになりました。
――手作りでそれをあみだしたんですね。
松浦:そうですね、最初は。
――当時のミックスの作成を松浦さん以外でやってた方っていないんですか?
松浦:いないですね。
――今でこそ海外組の選手などはミックスを履いてるっていうイメージがあるんですけど、まさにその走りですね。
松浦:そうですね、当時は固定か取替かってどちらかだったんですけど、中間が欲しかったんですよね。柱谷選手もすごく道具や色んな事にこだわる方でしたよ。
――けっこう以外ですね。柱谷さんって失礼ですけどそんなに繊細ではないと思ってました。
松浦:いや、めちゃくちゃ繊細ですよ!柱谷さんもエジムンド選手と同じでウォーミングアップに行く前は笑顔なんですけど、ウォーミングアップが終わって帰って来る時の顔は本当に闘将でしたね。
目の前にあるのに「マツ!水!水!」っていうほど集中していました。柱谷さんは自分が座ったらそこで全てをやりたい方でした。その為、柱谷さんがロッカーを出た後に、柱谷さんの椅子の位置に座って、彼の腕の長さはこれ位だからここに水を置く、ここにゼリーを置く、ここにタオルを置くって決めていました。
――それは知らなかったです。
松浦:柱谷さんが自分に言ってくれたありがたい言葉があって「選手は記録が残る、何試合出場で何ゴール、何アシストと。だけどスタッフはそういうのがないから、皆の記憶に残る仕事をするように。」って言われました。
――確かにそうですね、数字じゃ測れないですもんね。
松浦:「だから記憶に残るようないい仕事をするように」って。よく言ってもらいました。
――さすが元日本代表のキャプテンですね。松浦さんは通算でヴェルディに10年在籍されたんですよね?
松浦:10年ですね。
――その後は色んなチームから誘われて名古屋を選んで行かれて、実際にどうでしたか? 名古屋も資金力がありグランドなどの施設もしっかりしていると思うんですけど、ヴェルディとの大きな違いなど何かありますか?
松浦:クラブチームじゃないですか、ヴェルディは。読売新聞と日本テレビとよみうりランドの3社で共同運営していたんですけど、どちらかというとクラブチームってサッカー好きが集まっているんです。
ミニゲームでも勝負がつくまで、電気をつけてまでもやるような人達だったんですけど、グランパスって企業からのチームだったので、そこのギャップっていうのは戸惑いましたね。
――ちょっとカラーが違いますもんね。子供みたいにサッカーが好きで好きでたまらないからプレーする選手やスタッフが多いチームから、ちょっとクールなというか部活っぽい感じのチームに来た感じですかね?
松浦:そうですね、クラブチームと企業職の強いチームの違いっていうのは感じましたね。
――元々グランパスにも用具係はいたんですよね?
松浦:用具担当の方はいらっしゃいました。
vol.6に続く。 http://king-gear.com/articles/404
先生松浦先生的官方博客
http://blog.livedoor.jp/roupeiro_matsu/
合作覆蓋/美津濃公司
<第二次採訪請點此>
<インタビュー第3回はこちら>
<インタビュー第4回はこちら>
――やっぱり深い仕事ですね。色んな選手の細かな特徴とかも把握されているんですね。 スパイクだけじゃなくて、ロッカールームの配置も仲の良い選手と隣にしたりとかしているんですか?
松浦:そういうのもありますね!例えばカズさんと北澤さんとか、当時大変だったのは背番号が固定じゃなかったんですよ。1~11番がスタメン、12~16番がベンチメンバーでした。
1度だけラモスさんが怪我上がりの時にベンチスタートだったんですよ。「何で俺が14番なんだよ!!」ってめちゃくちゃ怒って「ラモスさん、ルールなんですよ!」って言っても「俺10番じゃなきゃ出ない!」って言ってました。
「ラモスさん、こういうルールなので」って必死に説得しました。当時は色々と大変でしたけど今は本当にいい思い出です。
――ユニホームの番号が毎回違うとサイズも違ってくるし、大変ですよね。
松浦:固定番号制じゃないと大変ですよ。
――1996年くらいでしたっけ?固定番号になったのって。
松浦:そうですね、97年かな。そのくらいですね。 それまではどの番号も各サイズ持っていかないと誰がスタメンで出るか分からないので大変でしたね。
――そうですよね、特にヴェルディみたいな選手層の厚いチームは大変ですね。
松浦:90分前とかにメンバーを提出しなければいけないと決まっているんですけど、当時松木安太郎さんが監督をされてて、16人がメンバー入りなんですけど体調ですとか戦術的なことから17人で遠征に行く時がありました。
そのメンバー提出ギリギリの1~2分前まで決めれないっていう時があって、そういう時にはギリギリで変わるわけじゃないですか。
――サイズも変わってしまいますね。
松浦:そうなんですよ。よくベゼーハさんが2人のどっちかだから決めて下さい!って言っても松木さんは「ちょっと待ってくれ!あと1分あるだろう。」みたいなことを言っていて(笑)結局、この選手でみたいな。
――けっこうそういう苦労話もありそうですね。
松浦:ほんとに話がつきなくなっちゃうくらい、いっぱいありますけどね。ただ自分の誕生日の日に天皇杯があって、カズさんが「マツ、今日お前の誕生日だろ!今日ゴール決めるから」って言ってくださって、当時鳥栖スタジアムが出来たばかりの頃で、なぜか鳥栖で鹿島と準決勝をやったんですよ。カズさんのゴールで勝利してそれは嬉しかったですね!
――かっこいいですね!もはや惚れてしまいますね。 話は変わりますがカメルーン人のエムボマ選手のこだわりはどうでした?
松浦:エムボマ選手とはかぶってないんですよ。エムボマ選手が加入したのが2003年なので。私が名古屋グランパスに移っての1年目の年だったので。
その前にエドウィンっていうカメルーン人の選手とはヴェルディで一緒にやってますけど。
――エドウィン選手のこだわりはいかがでした?
松浦:エドウィン選手はエムボマ選手の強烈な印象が残ってるのでカメルーン人は全員エムボマかと思ったら、そんな事なかったんですけど、めちゃくちゃいい人でしたね。
――やっぱり今思うと当時のヴェルディみたいなオールスターのようなチームがまた出てきてほしいです。
松浦:みんな色んなこだわりがあったんですよ。私服にしても車にしても。ただ1番こだわっていたのは「勝つこと」なんです。勝つことだけにはこだわってましたね。喧嘩している同士でもグランドに入っちゃったらパス交換しますし、試合中に大喧嘩してしまった事もありまして、大変でしたよ。
――誰と誰がですか?
松浦:当時、ビスマルク選手と柱谷選手がヤマハスタジアムでマークの受け渡しとかで喧嘩しながらロッカーに帰って来るんですよ。ロッカーの中で取っ組み合いで、当時ネルシーニョ監督で「お前ら喧嘩するなら使わない。」って言って。
ホワイトボードがあってネルシーニョ監督のやり方で対戦相手と自分たちの人数分のマグネットを置いてるんですよ。
そしたらネルシーニョ監督が怒ってホワイトボードをパンッって叩いて、バッて取れちゃったんですよ。それで落ち着いて「ここからは戦術的なミーティングするぞ」って言った時にマグネットが足りないんですよ。
そしたら今度は「まっちゃん!2人いないぞ選手が!」とか言って(笑) いやーって思いながら必死で探して、ちょうどベンチにいましたとか言って(笑) そういう熱いチームでしたね。
――何かで読んだんですけど、中村忠さんと柱谷さんだけミックスソールで、それは松浦さんが作っちゃったという話は本当なんですか?
松浦:最初、ミックスソールを作ったんですけれど、ミズノさんから「これは絶対に市販化した方がいい」って言われて、作ってくれるようになりました。
――手作りでそれをあみだしたんですね。
松浦:そうですね、最初は。
――当時のミックスの作成を松浦さん以外でやってた方っていないんですか?
松浦:いないですね。
――今でこそ海外組の選手などはミックスを履いてるっていうイメージがあるんですけど、まさにその走りですね。
松浦:そうですね、当時は固定か取替かってどちらかだったんですけど、中間が欲しかったんですよね。柱谷選手もすごく道具や色んな事にこだわる方でしたよ。
――けっこう以外ですね。柱谷さんって失礼ですけどそんなに繊細ではないと思ってました。
松浦:いや、めちゃくちゃ繊細ですよ!柱谷さんもエジムンド選手と同じでウォーミングアップに行く前は笑顔なんですけど、ウォーミングアップが終わって帰って来る時の顔は本当に闘将でしたね。
目の前にあるのに「マツ!水!水!」っていうほど集中していました。柱谷さんは自分が座ったらそこで全てをやりたい方でした。その為、柱谷さんがロッカーを出た後に、柱谷さんの椅子の位置に座って、彼の腕の長さはこれ位だからここに水を置く、ここにゼリーを置く、ここにタオルを置くって決めていました。
――それは知らなかったです。
松浦:柱谷さんが自分に言ってくれたありがたい言葉があって「選手は記録が残る、何試合出場で何ゴール、何アシストと。だけどスタッフはそういうのがないから、皆の記憶に残る仕事をするように。」って言われました。
――確かにそうですね、数字じゃ測れないですもんね。
松浦:「だから記憶に残るようないい仕事をするように」って。よく言ってもらいました。
――さすが元日本代表のキャプテンですね。松浦さんは通算でヴェルディに10年在籍されたんですよね?
松浦:10年ですね。
――その後は色んなチームから誘われて名古屋を選んで行かれて、実際にどうでしたか? 名古屋も資金力がありグランドなどの施設もしっかりしていると思うんですけど、ヴェルディとの大きな違いなど何かありますか?
松浦:クラブチームじゃないですか、ヴェルディは。読売新聞と日本テレビとよみうりランドの3社で共同運営していたんですけど、どちらかというとクラブチームってサッカー好きが集まっているんです。
ミニゲームでも勝負がつくまで、電気をつけてまでもやるような人達だったんですけど、グランパスって企業からのチームだったので、そこのギャップっていうのは戸惑いましたね。
――ちょっとカラーが違いますもんね。子供みたいにサッカーが好きで好きでたまらないからプレーする選手やスタッフが多いチームから、ちょっとクールなというか部活っぽい感じのチームに来た感じですかね?
松浦:そうですね、クラブチームと企業職の強いチームの違いっていうのは感じましたね。
――元々グランパスにも用具係はいたんですよね?
松浦:用具担当の方はいらっしゃいました。
vol.6に続く。 http://king-gear.com/articles/404
先生松浦先生的官方博客
http://blog.livedoor.jp/roupeiro_matsu/
合作覆蓋/美津濃公司