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日語第一!對鬆尾章男先生成為著作權第8卷第8卷“在遊戲中改變守護者手套的人”

日本人初のプロのホぺイロとして東京ヴェルディや名古屋グランパスなどで25年に渡り活躍してきた松浦紀典さん。物への矜持や印象に残っている選手のこだわりなどについて約8時間に渡り聞いてきました。Vol8.ではキーパーの本並さんのこだわりやホぺイロという仕事のやりがいなどについて聞きました。

圖標16466945 810048175800857 1247399717 n小池菊池 | 2017/07/21
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――キーパーグローブも手入れされてたと思うんですけど、キーパーによっては数回でグローブを変えちゃう選手やボロボロになるまで使う選手など様々なこだわりを持った選手がいますよね?  

松浦:ほんとにグローブは商売道具なのでラバーがめくれてきたりしたら、変えますよね。試合ではいい状態のものを使って、練習ではそれなりに使い込んでいるものを使います。自分が関わってきたキーパーで1番繊細でこだわりがあったのは本並選手ですね。 
――ガンバやヴェルデイなどで活躍された本並健治さんですね!  

松浦 はい、なんと試合中にキーパーグローブを替えるんですよ! 例えば試合中は基本的にみんなボールを見てるじゃないですか。  

私は本並さんを見ているんですよ。そしたら本並さんがこっちを見てチェンジのサインを出してるんですよ。  

一緒に試合を見ていたあるスタッフが「まっちゃんどこ見てるの?」って言ってきて「本並さんだよ!」って言って(笑)キーパーグローブを替えたいというサインが出たら、ピッチへグローブを持っていきます。  

レフェリーのチェックを受けて、交換に向かいますがその時に「本並さんどうしたんですか?」って聞くと「今日はこれやない」って。  

感覚なんですよ。指一本でセーブをする選手だったので繊細な感覚をお持ちだったと思います。  

あと本並選手は4種類のグローブを持っていて、それぞれ3つ持っていたんです。
 

――4種類のものを3つずつ?


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松浦:はい、だから合計12個です。それだけでバックがいっぱいになりましたね。


例えば今日はこのグローブでやって勝つとするじゃないですか。けっこう験を担ぐ方だったので次の試合もそれでやろうとするんですけど、グローブを取った時のフィーリングとかが違うと交換していました。だからスタメンの時は開始から10分くらいは本並さんをずっと見ていましたね。
 

あとはアップのシャツの色もこだわっていましたからね。1人だけ3種類あって選ぶんですよ。「今日はこの色や」みたいな(笑) 

――本並さんにそんなこだわりがあったなんてはじめて知りました!  

松浦:ヴェルディの話をしていたら思い出したんですけど、当初カズさんのキャプテンマークが奥さんの「りさ子さんのスカーフ」だったんですよ。  

――そうなんですか?これもはじめて知りました。  

松浦:当時のルールはキャプテンの証があればいいよってことでしたので、今はダメですけどスカーフを腕に縛るんですよ。もうちょいキツくとか調整していました。   

――あと試合中に時計を預けていた話は聞いたことがあります。  

松浦:カズさんは何百万もするカルティエの時計を試合の時にベゼーハさんに預けるんですよ。ベゼーハさんはキャプテンマークをカズさんに付けるんです。  

――時計とキャプテンマークを交換するっていう感じですかね?

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松浦:そうですね、ただベゼーハさんがいない時もあったんです。

その際は「今日はマツか?」っていう感じで、私がカズさんから時計を預かるんですが「この時計何百万?」みたいなプレッシャーがありました。  

けっこうカズさんは愛情がある接し方をしてくれるので「大丈夫か?頼むぞ!」とか、勝つと「預かってもらったお陰で今日勝ったよ」とか嬉しい言葉を頂きました。  

その時計をベゼーハさんが1回壊してしまったことがありました(笑)
国立競技場だったんですけど、ドアノブにカーンって当たっちゃって、ピンが取れたんですよ。  

世界に何台しかない時計だったらしくて「もう仕方がないよ」って言ってイタリアの時計屋から取り寄せられていました。ピンだけで100万円以上したみたいです。 

――カズさんの懐の深さがわかるエピソードですね。  

松浦:当時はヴェルディの他の選手も色々な物にこだわっていました。ヴィンテージのデニムが流行った頃などはみんなこだわっていました。  

当時エメルソン・レオンというすごく厳しいブラジル人の監督の時でした。ホペイロなので監督室に呼ばれて「彼らは給料高いよな。なんで日本人は穴の空いたジーンズを履くんだ!!」って言われて(笑)  

――穴が開いてるのは使用しすぎて空いたと思われたわけですね。
 
松浦あの選手が履いてるデニムは100万ですよ!」って言ったら物凄く驚かれていました。 

レオンさんもすごくこだわりがある方で、デニムまでクリーニングに出すんです。

「のり付けをしろ!」って言うんですよ。僕の毎日の仕事はレオン監督にコーヒーを届けることとクリーニング屋に服を持っていくことでした。  

レオン監督はTシャツにものり付けをするんですよ。すっごいキッチリされている方で。
お蕎麦やうどんを日本人ってズルズルって食べるじゃないですか。それは禁止なんですよ。  

ホテルの食事で試合へ行く前にだいたい炭水化物を取るので、うどんとか食べるんですけど、ズルズルっていうとレオンがゴンゴンゴンと机を叩きながら「シーッ!」って。 みんな「なんか食べた気しないな」っていいながら(笑)  

――キッチリですね。めちゃめちゃ朝練とかもやってましたよね?  

松浦:朝練ありましたね~!朝7時からの練習の時はスタッフは5時集合でした。
ホぺイロは1番遅く帰って1番早く来るのでキツい時はクラブハウスに泊まったりとかしていましたよ。 

――練習の2時間前に入って終わった後は何時間くらいクラブハウスにはいるんですか?
 
松浦その時々ですけれど試合の準備もありますので、大体12時間くらいはクラブハウスにいますね。 

――5時に入ったら夕方の17時まで?  

松浦:いや、もっといましたね。  

――10時からの練習だったら22時とか23時とかには帰れるんですか?
 
松浦:そうですね。Jリーグが始まった頃って水曜と土曜の週に2回試合があったので大変でした。
 

――準備に常におわれる感じですよね?  

松浦:人間だけ本拠地に戻って、試合の道具は次の試合会場のホテルに先に送っておくんです。前泊でホテルに絶対入るんですけど、そこで食事を取ってからその荷物をほどいて、クリーニングはクリーニング屋さんに出しておくので仕上がるんですけど、また畳んでバックに入れたりとか、スパイクはホテルの部屋のお手洗いでベゼーハさんと新聞紙敷いてそこで磨くんですよ。

そうするとカズさんや都並さんとかが「やってるか~」と言いながら見に来てくれたりしました。  

――聞いていると凄く大変そうなんですけれど、なんか嫌になったりしないんですか?  

松浦:嫌になった事はないですね。  

――「こんなの辞めてやる!」とか思う瞬間とかあるじゃないですか?僕は若かりし頃などよくあったんですが(笑)  

松浦:いや、それがないんですよ!楽しくて!  

- 太好了。

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松浦:自分もプロとしてやっていますし、プロとして妥協しないでやろうっていう思いがあるので、徹夜しようと何しようとその仕事をやり切らなきゃいけないっていうのをベゼーハさんからも教わったし、全然時間が遅いとかそんなの思わなかったですね。

 当時3Kって言われてて「キツい」「汚い」とか流行ったじゃないですか。まさにホペイロなんてそうだったんですけど、全く気にならないですね。 

――仕事をしていてどういう時が1番嬉しいですか? そして1番嬉しかったことはなんですか?  

松浦:やっぱり優勝した時は何ともいえないですね!それは最高に嬉しいことであるんですけど、日々喜びがあります。  

みんな綺麗なスパイクを履いて練習とか試合で頑張ってくれて、ドロドロになって帰って来て「怪我なく無事に今日もありがとう」っていう想いでまた磨くんです。スパイクが綺麗になった時はやっぱり嬉しいんですよね。  

綺麗にする喜びもありますし、優勝した時に20チームとか18チームの中の頂点に立つっていうことは本当に大変なことなので、その時の喜びはその時にしかないので言葉に出来ない嬉しさですね。
 

1度優勝を経験してしまうと、もう1回もう1回っていう気持ちになってしまいます。特にリーグ戦が1番なんですよね。カップ戦ももちろん嬉しいですけど、合宿から始まって1年間みんなで戦って、それで優勝っていう結果は本当に最高です!  


vol.9に続く  7月24日公開予定。 

先生松浦先生的官方博客
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